青海のブログ

本や映画、展覧会の記録と感想等。時々、発達障害について。

都合よくたかられるくらいなら、鬼呼ばわりされる方が100万倍マシ

※注:今回の記事は、読むに耐えない罵詈雑言のオンパレードです。

さて、外国人の生活保護に関する裁判の、最近の報道に関して思うことを書きます。

 

ガーナ共和国の国旗

 

この判決ですが…↓

www.tokyo-np.co.jp

 

↓下の写真の右側が、今回の原告であるガーナ国籍のシアウ・ジョンソン・クワク氏。

東京新聞公式サイトからの引用

このガーナ人男性もそうですが、彼を支援する、(多分左翼系の)団体や、人権派()弁護士のような亡国の徒には嫌悪感しか感じませんでした。

 

「わたしはにんげんです。ろぼっとではありません」

→そう、お前は”ろぼっと”以下の存在だ。

 ろぼっとに謝れ。お前より、黙々と掃除してくれている家のルンバちゃんの方がよっぽど大切だよ。恥知らずな意地汚い人間風情などより、私はろぼっとの方がずっとずっと好きだ。

 

ルンバかわいいよ、ルンバ

 

物事には、全て「対価」というものがあります。

労働力の提供や金払いの良さで日本国内に貢献せず、透析で年間500万円溶かす外国籍の人間(身内でも友達でもないし)に、私達の税金が使われるなんて、普通に嫌です。

あ、何か、旨味があるなら別ですよ?(もみ手すり手)

そして今回の判決は人道上ではなく、あくまで法律面の話だし、「わたしを養わないあなたたちが悪い」と言わんばかりの図々しさに、しばし、( ゚д゚)ポカーンとしました。

支援団体や弁護士ども(=いいカモ)は、こいつ一人を助けることを考えているのでしょうが、今回のようなあつかましい要求が通れば、どうなりますか?

世界中の透析患者達が日本へ、たかりに押し寄せますよ。国家の崩壊の序章ですね。

星 新一の短編小説「コビト」を思い出しました。一時的な感傷で、後先考えずに他者を助けると、どうなるか…という教訓に満ちた名作です。超オススメ。

 

 

(※繰り返し)わたしはにんげんです。ろぼっとではありません」

→まず、ガーナ政府に向かって言ってこい。あんた、国民でしょう?

 

「はたらけなくなったら、にんげんもすてられるのでしょうか。」

→うん、そうだよ、それがどうかした?…あ、もう眠いから寝るね?

 

前回の記事で、他者への無関心や責任逃れを重ねた果てに、大きなツケを払うことになるよ?と「自己責任」がやたらと叫ばれる社会への警告と懸念を訴えましたが…

 

aoumiwatatsumi.hatenablog.com

 

同じ口でそんなことを言うかと呆れられるかもしれません。

前回記事の『夜の来訪者』の気の毒なエヴァ・スミスは、少なくとも、「人に迷惑をかけまい」と考えて頑張る、真っ当な感覚の持ち主でした。だからと言ってそれで報われる訳ではないのが現実ですが…

 

今回のような、あの原告のガーナ人男性のように、あつかましい輩は大大大大大っ嫌いです!日本もなめられたもんだと思いました(呆)

 

あ、クラウドファンディングすればいいでしょ、このガーナ人男性を助けたい人だけが出資するの。人道的に正しいことだから、参加者が沢山だろうね…ちなみに、最低でも毎年500万円、下手すると何十年も要継続だけど。

…いつまで続くかね???

 

人工透析は高額

 

このジョンソンさん、「日本にいる障害のある外国人や日本人のためにもなる裁判。希望は失いたくない」とコメントされているそうですが(何様)…

お前の希望は私の絶望だ。こんな暴論が万が一通ってみたらどうなるか…まず(普通の納税している)日本人は、やる気をなくすでしょう。そして、在日外国人に対するヘイトがうなぎ登りとなるでしょう。こいつのせいで。

 

そりゃ、本人は、命がかかっているから必死なんでしょう、なりふり構っていられない。おそらく日本人とはかけ離れた常識・倫理観があるからこそ、今回のような齟齬が起こったのかと思います。そして、彼の(日本での)家族や支援者達も、実際に当人に接していれば、肩入れしてしまうのも無理ないと思います。人と人とが知り合うとはそういうことです。

 

でも、私はこのようなあつかましい要求を切り捨てることに大賛成です。

それで、このガーナ人が亡くなってしまったとしても、賛成します。「人殺し」「鬼」と言われても、かまいません。(都合の)いい人として、寄生虫だか吸血鬼のような輩に寄生されるよりは、鬼であることを選びます。世の中には、本当に人の好さにつけこんでくる、ダニみたいな奴らがわんさかといます。例え利用されても、他者に尽くし続けたい猛者ならともかく、私は、まず自分を守りたいです。感謝されて、うすっぺらな承認欲求を満たすよりはまず、見捨てたうしろめたさを抱えて生きていく方がマシです。

 

断る力

 

今自分の生活がなんとかまわっていても、この先、どこでどうなるか分からない。災害や貧困のただなかにある人達を、なるべく、「自分事」と考えたいです。だから、私は可能な範囲で寄付をしているし、この先も財布が許す範囲でやっていくつもりです。

でも、全ての人を救うことなんてできないのです。何事も有限であります。「助けることは選ぶこと」です。誰を助けるか選ぶことで、それ以外の人達を見捨てることです。それが現実です。

 

でもこういう「在日外国人に対する社会保障の問題」は、これからも繰り返し立ち現れてくるでしょうね。現に、そして今後も外国人を「労働力」として受け入れていくのだから。法改正もありうるだろうなあ…

 

あ、法改正は、従来自治体判断だった、在日外国人に対する生活保護支給を全面禁止の方向でお願いします。いい加減前例に従うのを見直しましょう。

 

鬼で結構で~す

 

それでは、また!