青海のブログ

本や映画、展覧会の記録と感想等。時々、発達障害について。

人は正しさだけでは動かない

「人間が一番地球環境に害をなす存在(`・ω・´)早く人間を(ry)」と思う今日この頃。

さて、今日は畜産(主に牛)についての短文です。

 

肉。

 

いきなりで済みませんが、皆様肉は好きですか?

 

私は肉が好きです。牛肉は高いですし健康上の理由から、たまにしか食べません(※だいたい国産牛)が、食べると元気になるのが良いです。乳製品も大好きです。


昔『ある精肉店のはなし』というドキュメンタリー映画(良い作品でした)で、昔ながらの方法で牛が屠畜される過程を視聴→終映後に焼肉屋に直行→「牛と生産者様に感謝してこれからも肉を食べよう。美味しいなあ」…ともぐもぐ肉をいただいたこともあります。 

 

良い映画でした


そう言えば、鶏を絞めて解体していただくワークショップに参加したこともありましたね(絞めたのは私ではないですが…それが心残りです)。私の力で殺せるのは鶏がせいぜいでしょうから、また参加できる機会があったらトライしてみたいです。昆虫食?遠慮いたします。

 

また、亡父の「子供の頃はウサギを家で(食用に)飼っていた」という話をもっと詳しく聞いておけば良かった…と悔いています(父よ…レシピは?)。

 

(遥か昔の)学生時代、肉を食べない友人に理由を聞いたら、「牛1頭を育てるのに、これこれの広さの農地で育てた穀物が必要で、それならその穀物を人間が食べた方がコスト的にも環境に良い…云々」と講釈を受けたことがあります。当時そういった意見は少数派でした。

 

牛~


それが、現在はあちこちで「牛1頭で自動車1.7台相当の環境負荷「牛用の飼料を生産する位なら飢えている人間に回せ」「牛のげっぷ(メタン=CH4;温室効果ガスの一つ)の排出量が膨大」と、世界的に畜産も牛もすっかり悪者扱いです。

 

しかし、それで「牛肉を食べないようにしよう」「牛を減らせ」と考えるのはちょっと待ってください。少なくとも日本では令和4年度の食料自給率(重量ベース)では牛肉が約39%(※農林水産省より)。むしろ国産品は食べて応援したい位です。そして、この国で最大のメタン排出元は水田です(メタンは嫌気性の微生物が発生源の一つ)。勿論、対応策を各研究機関が模索しているところですが、あなたはこれを聞いて、いきなりご飯(米)をやめられますか?

 

稲作~

 

確かに今、世界的に牛は多すぎると思います。スーパーにはいつも溢れんばかりにお肉(牛肉に限らず)が売られていますし、食品ロスの問題を鑑みても、本当にこれだけの頭数が必要か?と思います。それに、牛に濃厚飼料(穀物が主)を与えているのは肉牛の肥育や乳牛の生産効率のため、つまり人間側の都合にすぎません。そもそも、牛は本来草だけで生きられる動物です(※だからといって、いきなり濃厚飼料抜きにしろ!と言うのは乱暴ですが)。

 

ステーキ!たまに食べたくなります


そう、牛の頭数を増加させたのも、飼料の問題も完全に人間の責任です(牛が勝手に増えた訳ではないのです)。そうして自分たちに都合が悪くなったら今度は厄介者扱いする。人類を1万年に渡り支えてきてくれた“恩獣”に対して、この態度。素晴らしいと思いませんか?

 

ただ、各国も手をこまねいている訳ではありません。先日読んだ本『ウシのげっぷを退治しろ―地球温暖化ストップ大作戦』(旬報社 大谷智通 著 小林泰男 研修)によると、世界中の約15億頭もの牛たちが放出するメタンを減らそうと、現状、科学者たちが様々な研究を続けているそうです。ガンバレ。

 

若い世代向けに書かれたようです

 

 

私は、人間の“欲望”と“弱さ”を軽視すべきではないと思っています。自制心と意志の強さを発揮できる方はそう多くない(そういう人は“そうすることが好き”ですしね)。“欲しい”という気持は大きな原動力で、物流や人流もこれ無くしては…


大体「正しさ」だけでは人は中々動きませんよ。未来を見据えた行動とその継続には、我慢ではなく、楽しさやモチベーションとなるものがないと。食生活から肉や乳製品が失われたら、私のQOLは間違いなく低下します。

 

牛は人類の恩獣

 

昔、地元の県内で循環型農業(酪農・稲作)を実践している牧場に見学に行ったことがあります。牛たちがとても大きくて美しかったですが、広大な敷地内にある、牛の糞尿から堆肥・液肥を製造する設備や、その肥料を活用した田んぼも見事でした。何より代表の方が牛や牛飼いの仕事をとても愛して、打ち込んでおられることが伝わってきました。


最近、自分の行動範囲近辺に、この牧場直営のジェラートショップがあると知り、先日行ってみました。ジェラートも、これも牧場で製造されたチーズも(テイクアウトしました)、とても美味しかったです。

 

また行きます

 

こういった営みが途絶えて欲しくない、と個人的には思っています(これも私の“欲”から出た気持です)。

そして、それとは別に、培養肉の可能性にも興味津々です。私が生きているうちに口にできる日が来ないかと、楽しみです。

 

ンモォ~~

 

それでは、また!

DMM英会話レッスン_開始後1ヵ月経過の所感

今年も半分過ぎてしまうのだ、と思うとびっくりです。

 

さて、この6月頭からオンライン英会話のレッスン受講を「DMM英会話」にて開始したので、1ヵ月経過をしたところでその所感を記録します。

 

DMM英会話 公式サイトより引用

 

開始して半月経過時点での記録は以下記事

aoumiwatatsumi.hatenablog.com

 

現時点での所感としては、流石に挨拶や、基本的なレッスンの流れ(お決まりの聞かれること、聞くことなどのフレーズ含め)を呑み込めてきた…ということでしょうか。自分用に、下画像のように良く使用するフレーズのカンニングペーパー(もはや紙芝居なサイズ)も作りましたし。

 

この程度でも咄嗟に出てこないので

 

現状は「そちらの天気はどうですか?」という程度でも、想定外のことを聞かれたりすると、あたふたしてするレベルですが(;´Д`)それは仕方がない…

 

またレッスン受講のペースですが…レッスン開始時期は比較的暇だったのですが、6月後半から主に仕事が忙しくなってしまい…結局この6月は(毎日1レッスンのプランで)総受講回数は14レッスンに留まりました…特に最後の週は週に1レッスンとなってしまいました(›´ω`‹ ) ゲッソリ

 

そして、様々な事情を鑑みて、7月からは一旦、毎月8レッスン上限のプランに変更とすることに決めました。

 

DMM英会話 公式サイトより引用

 

仕方ないですよね。仕事と健康優先ですから、レッスンの予習時間も確保しないといけませんし。7月後半からは、また時間に余裕が出てくる見通し(…のはず)です。

 

上記の「様々な事情」には、DMM英会話とは別に、英会話の通信教育(受講期限あり)もスタートする、ということも含まれます。そちらも合わせて様子見…といったところです。また可能でしたら、毎日1レッスンプランに戻すかもしれません。

 

通信教育は教材・アプリ仕様らしい…です

 

嫌になって止めてしまうことが無いように、細く短く、コツコツと続ける所存です。

 

他にも、フィリピン人講師について、など書きたかったですが…疲れ気味なので本記事はこれにて失礼します。

 

先日の、夏至の早朝の空

 

それでは、また!

『ダロウェイ夫人』ヴァージニア・ウルフ 著 感想

googleアナリティクス 4 への移行(このブログへの設定)を何とかすませた…かもしれません(出来ていないかもしれません…)

 

さて、この6月に、時期的にぴったりの小説『ダロウェイ夫人』を読了したのでその感想です。

 

素敵な小説でした

 

【目次】

 

あらすじ

現在と過去を自在に行き来し、青春時代を回想する「意識の流れ」の文体で、クラリッサ・ダロウェイの1923年6月、第一次大戦の傷跡残るロンドンのある一日を描く。モダニズムの代表作。

Amazon公式サイトよりの引用)

 

上記にまとめられている通りです。初夏の瑞々しく溌溂とした空気のロンドンを舞台に、タイトルになっている「ダロウェイ夫人」こと、保守系政治家の妻であり、裕福な家庭の夫人でもある51歳のクラリッサ・ダロウェイ視点だと「自宅でパーティーを開いた。懐かしい人々と再会して、偉いお客さんも来てくれて、無事終わった(終盤、少しばかり影がさすけれど)」…だけの話です。これで文庫本にして340ページ位の長さ。

 

ロンドンに梅雨はないでしょうね

 

独特の語り口

拙ブログで小説の感想記事は、久しぶりですね。小説に書かれた6月中に何とか読み終わろうとしていましたが、終盤では読み終わるのが惜しくなりました。

とても魅力的な小説でした。この小説は、基本全てを統括するような語り手(3人称)がいるのですが、いつの間にかクラリッサ・ダロウェイをはじめとした登場人物達が語り手となって(1人称)、その時の語り手が見聞きしたことや思ったこと、過去の記憶と、人の意識の移り変わりをそのまま描き出す手法をとっています。こういう手法を「意識の流れ」というそうです。

 

花屋~

 

例えば、クラリッサが自宅でのパーティーに飾るための花を花屋に買いに行くと、その花屋の店員に語り手が移り、その人の主観で見えている人・ものが描写されます。そんな風に、クラリッサに仕えるメイドや元カレのピーター、夫であるリチャード、そればかりかすれ違っただけの人、その場に居合わせた人、そういった赤の他人がまたすれ違っただけの人…と沢山の人が語り手となっていきます。

人間の意識なので、その時の語り手が意識する人やもの、注意の対象、感情が目まぐるしくくるくると移り変わっていく様も面白いです。「今この時・この場所(小説の本来の舞台である6月のある水曜日のロンドン)」に留まらず、何十年もの過去の記憶や、それにつながる場所を思い出したり、またその時の関係者と「今」会って話したり…1日の出来事を描いた話なのに、何十年もの時の流れの中を往還する描き方が楽しいです。

 

“私”はあらゆる場所に存在する

そして、家族や友人知人のみか、たまたま同じ場所に居合わせ、すれ違うだけの者同士があたかも揃って交響楽を奏でているかのような描写。まるで個々が世界という大きな歌の一節であるかのように。これが流れるような美しい文章でつづられていきます(原文も良いのでしょうが、丹治 愛氏の訳文がおそらく素晴らしい)。

 

公園とか~

 

…突然彼は目を閉じ、よいしょとばかりに片手をあげ、葉巻の重い吸い殻を投げ棄てる音、歩き過ぎる人びと、高まったり低まったりする往来のざわめきを掃き去った。下へ下へと彼は沈んでゆく。眠りの羽毛のなかへと沈んでゆき、ついにその羽毛に覆われてしまう。

ピーター・ウォルシュが陽のあたっているベンチでいびきをかきはじめたとき、隣りにすわっていたグレーの服の子守女はふたたび編み物をとりあげた。グレーの服を着、一心不乱にしかし静かに両手を動かしている彼女は、あたかも眠る者たちの権利を護る闘士のようであり、また空と木々の枝からなる薄明の森の世界に立ちあらわれる霊的存在のひとつのようでもあった。小径をたずね、羊歯の群生をかき乱し、大きな毒人参の草を踏みにじる孤独な旅人は、空を見あげると、不意に騎馬道の果てに巨大な人影を認める。(以下略)

 

…「どこにいるんですか?」とヒュー・ウィットブレッドはつぶやくように言った。と、たちまち、日がな一日レイディ・ブルートンのまわりに打ち寄せる奉仕の灰色の潮に、ひとつのさざ波が生じた。その潮は高まり、遮断しつつ、彼女をきめの細かい薄織物で包み、そうすることで衝撃を消し、妨害を和らげ、ブルック・ストリートの屋敷のまわりに目の細かい網を広げていた。その網にはいろいろなものがかかっていたが、三十年にわたってレイディ・ブルートンに仕えている白髪頭のパーキンズは、そのなかから正確に即座に必要な情報を拾いあげ、ピーター・ウォルシュの滞在先を書きとめ、それをミスタ・ウィットブレッドに渡した…

(以上、どちらも集英社文庫版『ダロウェイ夫人』より引用)

 

本作で結構重要なポジションにいるビッグ・ベン

 

このことは、娘時代の以下のクラリッサの言葉に端的に表されている気がします。

「自分があらゆる場所に存在している感じがするの」「あらゆる場所に」「わたしはあれ全部なのよ。だからわたしなり誰かなりを知るためにはその人を完成させている人たちを、そしてその人を完成させている場所も、見つけださなければならないのよ。一度も話しかけたこともない人、たとえば通りを歩いている女やレジに立っている男にも、私は奇妙な親近感を感じる。木々や納屋にさえ。」

 

作中で、ビッグベンが打つ時の音も、何らかの役割を負わされている気がします。

 

見え隠れする闇

上記のクラリッサの世界観?で言うと、この小説で彼女と対になる存在と言えるセプティマス・ウォレン・スミスとも、つながりがあるといえるかもしれません。

とはいえ、小説の設定では彼はクラリッサとは赤の他人と言って良い存在です(間接的に薄~いつながりはあるといえばある)。『ダロウェイ夫人』はセプティマスのある1日を描いた話とも言えます。

セプティマスは第一次世界大戦(1914年~1918年)に志願して出征し、仲の良かった上官を戦争で亡くたこともありシェルショック(PTSDのようなもの)を負っています。病んでいるので、不思議なヴィジョンを見たりします(これは神経衰弱を患っていた作者のウルフが実際に見聞きした幻覚が元になっているそうです)。

 

このように、『ダロウェイ夫人』では、初夏の瑞々しいロンドンの空気を生き生きと描写していますが、随所に戦争の傷跡、クラリッサが過去にスペイン風邪に罹患したこと、彼女の老いや死を意識する描写もあり、このことが小説を味わい深いものにしています。

 

無関係と見えていたセプティマスとクラリッサの物語は、この小説(で描かれる一日の)最後に、ほんのうっすらと交錯します。さて、それはどういった形?

これは、実際に読んでいただいてのお楽しみです…

 

薔薇~

 

『ダロウェイ夫人』は、読んでいて現世の瞬間ごとの煌めきと闇とを堪能できる、奥深く美しい小説でした。

 

初夏~

 

それでは、また!

DMM英会話レッスン_開始後半月経過の所感

急に暑くなってきましたね。

 

さて、今月頭からオンライン英会話のレッスン受講を「DMM英会話」にて開始したので、約半月経過をしたところでその所感を記録します。

業界大手ですな

 

開始が遅くなった

始めたきっかけは、「コロナ禍も明けたし、自分に可能な範囲で海外旅行にでもいっててみるべか」と思ったことです。全くの個人旅行は無理無理、でもガイドさんがいても最低限の英会話くらいはできないとね…と色々旅行会社に相談しつつ、英会話の学び直しを検討しておりました。

 

が、昨年度末からの余りの仕事量の多さに、それどころではなく…

 

aoumiwatatsumi.hatenablog.com

 

それを言い訳に、腰が重くなっていたことは否めません(;´∀`)

でも、いい加減始めないと!と街の英会話教室やらオンライン英会話教室を色々比較して、なんとなくでDMM英会話にしようと考えました。

 

対面での受講も検討していました

私は発達障害の特性でとろくさく、まともなTOEICスコアをとることは望めません。だからあくまで趣味レベル(トラベル英会話)で考えて、料金も現実的なものを、と考えて決めました(というか、かなり見切り発車でした)。

 

まずは体験レッスン

最初はあまりDMM英会話での授業の流れを調べず、授業の準備もせずに(…というか考えもしませんでした…)、「毎日1レッスン(1回25分)/月 6,980円(※2024年5月時点)」のプランをとりあえずやってみるか~?と選ぶことを検討しました。申し込みの最初の月は半額というサービスですし。

 

DMM英会話公式サイトより引用

 

その前に、無料で2回分体験レッスンを受講することができるので、5月末にトライしてみました。

 

1回目は日本人の先生で、これが良かったです。流石に、挨拶と受講したいと思ったきっかけ・動機程度の英語表現は予習していきましたが…

私は本当にDMM英会話のレッスンについて無知で、「オリジナル教材」というものがあるのを知りませんでした。この時の講師の勧めで、トラベル英会話を学びたいなら、オリジナル教材の「Travel & Culture 旅行と文化」をベースに学習するのが良いと教わり、この時もレッスンをしていただけました。

 

体験で日本語講師を1回だけ予約できます

 

日本人の講師でレッスンを受けると、こちらが(英語で何と言えば分からなくても)日本語でちょろっと助け舟を出していただけるので助かりました。

しかし…日本語の講師は私が選択することとなる「スタンダードプラン」ではレッスンをお願いできない…と後で知ることとなります(体験レッスンは特別に1回選択可能)

 

2回目の無料体験レッスンはセルビア人の先生。この時は前述のオリジナル教材の「Travel & Culture 旅行と文化」を選んで、レッスンをしていただけました。

しかし、(この時点でも無知だったので)予習はしませんでした。色々もたもたしましたが。

 

講師は圧倒的にフィリピン人

そんなこんなで、体験レッスン2回分を済ませて、6月月初に正式にDMM英会話に申し込みました。とりあえずプランは「毎日1レッスン」で。当初は、鼻息荒く、「毎日受講するんだ!」と息巻いていましたが、すぐにそれでは続かないと判明しました。

そして申し込んで初めて気が付いたこと。自分の申し込んだスタンダードプランでは、アメリカ人やイギリス人などのネイティブスピーカーや日本人の講師からはレッスンを受けられないということ。

 

人件費の問題で…

 

他に、カナダやオーストラリア、ニュージーランドとかもダメだったかな?こういった方々は、プラスネイティブプランというもっと高額のプランに切り替えないと、レッスンが受けられないのです。

 

DMM英会話公式サイトより引用

 

要するに、先進国の方々ですね。それぞれの国の給与の相場を鑑みて、こちらの講師の先生たちだとレッスン代が高いのです。

 

そうなると、スタンダードプランで選択できる講師は、まず(圧倒的に)フィリピン、そして、パキスタンやアフリカ諸国、前述のとおり体験レッスンでお世話になったセルビアなど東欧の国の講師となります。

 

フィリピン人講師が圧倒的に多い

 

あらら…と思いましたが、これでスタンダードプランがリーズナブルな訳が分かりました。しかし、私はアメリカやイギリスに行こうとしている訳ではなく、旅行予定となっている国でも英語は「外国語」です。資格試験のため、ネイティブスピーカーの発音や表現をどうしても身につけたい訳ではない(現状とてもそんなレベルではないし)ですから、まぁ、別に良いかぁ?と思いました。

 

また、フィリピン人に関しては、前職(日本のスーパーブラック企業の食品工場)で沢山のフィリピンの人達と一緒に働いていたし、フィリピンはアメリカの統治を受けてきたから、英語は公用語であること、しかし母語ではないので、英語学習者の気持を考えてくれるであろう…と思えば、良いかもしれないと思いました。

余談ですが、フィリピンは東南アジアでもビジネス英語(アメリカ英語)のレベルがピカ一だそうです。そのため、欧米の企業のコールセンターの多くがフィリピンに置かれているくらいだ(オンライン英会話と同様、これも人件費を安く抑えるためですね)…と聞きました。

 

初心者は「オリジナル教材」でのレッスンがおすすめ

最初は、右も左も分からずに(というか調べなかった)、受講を始めたのですが、そんな私でも「フリートークで25分もたせられない」と分かり、「オリジナル教材」の「Travel & Culture 旅行と文化」のテキストを消化していけば良い!と思ったのもつかの間、「予習しないと行き詰まる」ことに気が付きました。

 

当然と言えば当然ですが

 

幸い、DMM英会話のオリジナル教材は公開されているので、毎回予習してレッスンに臨むようになりました。これでだいぶスムースに受講が可能となったと思います。

 

そうすると、とてもじゃないですが毎日受講は無理…ということも分かりました。なにせ、教材を使用していても、講師とのちょっとしたやりとり(初めと最後の挨拶や、「このExerciseで質問ある?」と聞かれた時の返し、接続が上手くいっていないときのやりとり、「もう一度繰り返して言っていただけますか」「このセンテンスをもう一度復習したいです」とか、ちょっと講師が話を広げてくれた時の返しなど…)もおぼつかず、色々想定して必死に予習しているレベルです。

 

あうあう~

 

予習は必須。それに、「オリジナル教材」も「Travel & Culture 旅行と文化」をやる前に「会話」というジャンルの初心者向けテキストをこなした方が良い、いやそれ以前に、「発音」のテキストをやって基本的なリスニング力を身につけた方が良い…と当初の想定と違った学習の必要を感じて、1レッスンでも十分な予習時間を確保する必要を感じるようになりました。おまけに、寄る年波で体力がた落ちなので、仕事と両立できる自分の受講ペースを確立することを模索する・・・そんな半月でした。

 

無理のないペースで

…という訳で、今は週3回受講できれば御の字、というペースになりつつあります。今後、座学を増やす(中学・高校の文法・単語などのやり直し英語もやらないと)ことを考えた場合、もしかしたら月8回レッスンとプランを変更しようか?とも検討しております。

 

紫陽花が綺麗な季節になりました

 

それでは、また!

2024年5月 名古屋旅行③(豊田市美術館)

過去記事、少し更新反映したので、紛らわしかったら済みません。

 

さて、2024年GWでの名古屋(一部豊田市へも)旅行の最終日記です。

 

豊田市美術館収蔵;野村 仁 作 連作『火星:太陽と石』

 

旅行記1回目・2回目はこちら。

 

aoumiwatatsumi.hatenablog.com

 

aoumiwatatsumi.hatenablog.com

 

旅行最終日、この日は少し足を延ばして豊田市豊田市美術館へ行って観ることにしました。結論…遥々足を延ばして本当に良かった!(もっと時間をとれば良かった)

 

当日は、朝一で電車を利用して名鉄三河線挙母駅(うわごろもえき)まで行き、徒歩で約14分。この辺りは車社会。車なしでは多少アクセスに難があるのは仕方がありません。

 

開館時間と共に入館。

 

この企画展はいまいちでした

 

企画展『未完の始まり:未来のヴンダーカンマー』は、個人的にはいまいちでした。その分、『2023年度 新収蔵品展』(これ目当てで行った)や、常設展が良かったです。

 

ジェニー・ホルツァーとジョゼフ・コス―ス作品のコラボ?

 

例えば、美術館壁面にプリントされたジョゼフ・コス―スのシルクスクリーン作品(古今東西の哲学者・思想家の氏名を壁面にプリントしている)とジェニー・ホルツァー(懐かしい)の電光掲示板のインスタレーション作品、それに谷口 吉生設計の建築が嚙み合って一体となった空間が面白いです。

 

『2023年度 新収蔵品展』より田島 美加 作『Art d'Ameublement (Cirque aux Mille Couleurs)』も良かった…(これが観たくてきたようなもの)

田島 美加氏の新収蔵作品

野村 仁 作『宇宙振動』

野村 仁 作 連作『火星:太陽と石』より

同上

 

『2023年度 新収蔵品展』は別の展示室にも。この部屋が良かったのは、制作された国・時代・ジャンルがバラバラの作品を一堂に会して展示していたことです。

 

李禹煥作品、本当にイケてる…何十年前の作品でも、斬新で凄くカッコいいのです。

 

李 禹煥 作『刻みより』 1973年

古今東西の平面作品(写真も)が同時に展示。最高

同上

 

同じ部屋に、民芸の大家である漆芸家・木工家の黒田 辰秋(1904年 - 1982年)のスケッチや作りかけの木工作品(!)が展示されています。こういうの、最高。

黒田 辰秋のスケッチと製作途中の木工作品。たまらん

黒田 辰秋の完成品(漆芸)も


常設展?でも、同じようなコンセプト?で現代美術作品と、河井寛次郎の陶芸作品や黒田辰秋の漆芸作品が同じ部屋に展示されていて、そういうやり方がたまらなく良かったです。

奈良美智、塩田千春、イケムラレイコ作品

須田悦弘作品も

現代の陶芸作品?

作者名忘れた、現代アート作品

手前が黒田辰秋の漆芸品、奥が河井寛次郎の陶芸作品

黒田辰秋の水差しは、写真では分かりにくいけれど、内側が全て象嵌なんですよ!凄く綺麗でした。

 

こんな水差しを使う茶会って…

 

山口啓介さんという方の大判な版画作品も良かったです。でかくて、ちょっとだけアンゼルム・キーファーを思い出しました(メディウムとか全然違うのですが)

 

山口 啓介 作 『4つの黒船』 1990年

山口 啓介 作 『炭素の船』 1990年

 

他に、宮脇 綾子(1905年-1995年)さんという方のアップリケ作品も印象的でした。ご夫君が宮脇 晴さんという画家(この方の作品も収蔵されている)ですが、こういう作品も収蔵している点で、この美術館にますます好感を持ちました。

 

何か野菜の根っこから芽が出たモチーフ

宮脇 綾子 作 『春』 1957年

 

豊田市美術館は、前述の通り谷口 吉生設計の建築、ピーター・ウォーカー設計の庭園も見どころなのですが、時間がないためあまりこちらは鑑賞できなかったのが心残りです…ミュージアムショップもとってもお洒落でイケてました!

 

美術館の素敵な空間

屋外エリアの謎の建築物


時間を見て、名古屋駅に戻り、ランチやお土産購入をして、帰路につきました。

今回の旅は結構直前で決まった旅行でしたが、充実した旅となりました。今度来たときは、宗次ホールへも行くぞ…!

 

豊田市美術館にて

 

それでは、また!

2024年5月 名古屋旅行②(熱田神宮、美術館巡りなど)

名古屋行ったのに宗次ホールのことをすっかり忘れていたのは痛恨の極みです。

 

さて、2024年GWに名古屋(一部豊田市へも)旅行したので、その2回目の記録です。

 

熱田神宮境内にて

 

旅行記1回目はこちら。

 

aoumiwatatsumi.hatenablog.com

 

名古屋と言ったら熱田神宮。今回が2回目の参拝ですが、この神社の清々しい雰囲気が大好きだったりします。旅行2日目は朝早めに出発して、最寄りの神宮前駅で下車。

 

儀式の最中

 

私が訪問した日は、神輿渡御神事(しんよとぎょしんじ)という行事の日だったようで、早朝から参拝に少々制限がありました。古式にのっとった装束の方々が拝見できてちょっと面白かったです。

 

ぞろぞろ…

厳かな境内の雰囲気

信長が奉納したという信長塀

ご神木の大楠

 

好天に恵まれ、良い気分で敷地内を出ようとした際、前を歩いていたご家族らしき団体が、くるっと振り向いて神様に一礼をされたのにちょっと感動。そして恥ずかしくなりました。私はそんなこと全然考えていなかったので。

 

次は、名古屋港まで移動して、南極観測船ふじの見学に。

 

南極観測船ふじ 手前は実際に使用されたプロペラ

 

我ながら渋いチョイスだったと思いますが、結構見ごたえあって良かったですよ?物資も資金もテクノロジーもおぼつかない時代の南極観測の歴史も辿れました。

 

※写真は名古屋港ガーデンふ頭公式サイトより引用

 

あの、映画『南極物語』で有名なタロとジロの銅像も(ちょっと気持ちがざわざわしてしまいます)。色々な想いをかかえつつ、見学終了。

 

名古屋だから、イケてる喫茶店にも行こう!と、喫茶ゾウメシというレトロ可愛いお店に向かいます。

 

ちょっと並びました

名店でした

 

SNS映えで大変人気のあるお店ですが、サービスも一流のお店でした。

 

さて、地下鉄の新栄町駅まで移動して、ランチをとり…ここからは名古屋の美術館巡りです。

 

まずは、横山美術館。今回の旅で一番見ごたえがあったスポットかもしれません。

ここは明治・大正期の日本の主力輸出品であった陶磁器の、里帰り品に特化した美術館です。

名古屋はかつて、海外へと輸出される陶磁器生産の一大拠点でした。特に現在の名古屋市東区には、瀬戸や美濃などの産地に近いという好立地から、多くの陶磁器工場が立ち並んでいました。各産地から運び込まれた陶磁器に絵付を施す、上絵付業が発展するなかで、名古屋絵付と呼ばれる豪華で華やかな作風は、海外でも人気を博しました。

(横山美術館公式サイトより引用)

 

愛知県産のものに限らないのですが、オールドノリタケなどの洋食器や宮川香山(みやがわこうざん)の超絶技巧なやきものなど、手の込んだ陶磁器を沢山所蔵していて、鑑賞することができました。私の背丈より高さがある壺もありましたよ。

 

お金持ち向け~

凄い細かい仕事の壺も

これもゴージャス

レリーフ的な作品も

宮川香山(みやがわこうざん)作の超絶技巧な壺

実用性、あまりなさそう((笑))

オールドノリタケティーセット

 

丁度、横山美術館では隅田焼という、その名のとおり江戸で焼かれたやきものの企画展もやっておりました。こちらは、ちょっと泥臭くてひょうきんな作風という印象です。

 

企画展が開催中でした

誰が得するのかこれ…

 

横山美術館を出て、近くのヤマザキマザック美術館へ。

 

ロダンの彫刻

 

アールヌーボーのランプや家具、ロココ絵画、他に近現代の主に西洋絵画・彫刻を収集されていたかな?ここで一番気に入ったのは、下図のキスリングの静物画(籠、死んだ鴨や雉など)です。

 

キスリングの静物

この籠の描写が…好き

 

ヤマザキマザック美術館も出た後は、少し歩いて愛知県美術館へ。丁度コスチュームジュエリーの大規模なコレクション展が開催中でした。

 

大変充実した展示内容でした

 

ハイジュエリーやファインジュエリー(希少で高価な価値の宝石や貴金属を素材として、芸術性も高い高価で、主に1点もののジュエリー)に対して、コスチュームジュエリーはもっと安価な素材を使用してデザイン性が高いジュエリーを指します。

そうするとコスチュームジュエリーは安っぽいもの?と思われるかもしれませんが、素材に合わせた制約が多いハイジュエリーよりも、もっと大胆で自由度の高いデザインが可能になる美点があるのです。ファッショナブルな要素が大きいと言うか。

 

こんなんハイジュエリーでは中々…重くなるし

だいた~ん!

 

会場では、コスチュームジュエリーの誕生から今に至る歴史の紹介と共に、衣装や帽子、香水瓶などのファッションアイテムや、当時のVOGUEなどの貴重な歴史資料が盛沢山で展示されていて…堪能しました(来館者は圧倒的に女性が多かったです)。

 

重厚な感じのモノも

キラキラゴージャスなものも

可愛い帽子の出品も

様々なデザインが

これ好き

春らしい

欲しい…

黄金ものも良いですね

アメリカのコスチュームジュエリー


コスチュームジュエリーは、散逸しやすいそうで、この展覧会にコレクションを提供された小瀧千佐子さんは、よくここまで集められたと思います。北鎌倉に美術館をお持ちだったそうですが、2005年に閉館されたとか…(残念)

 

上目黒のアクセサリーミュージアムには頑張っていただきたいものです。

 

一度訪問したことがあります

 

本当は、徳川美術館にも行きたかったのですが、時間も予定より遅くなったので、ホテルに帰りました。

もうすぐ、東京にも出張してくれる予定ですが。

 

サントリー美術館で。楽しみ…

 

名古屋旅行記は、あと1回分続きます…

 

夕食にいただいた、サムギョプサル~

 

それでは、また!

能登金剛遊覧船支援のクラウドファンディング、陰徳について

本来なら、今月初めのGW名古屋旅行の続きの記事を上げたいところですが…

ちょっと一休みして…「能登半島地震」で被害を受けた、「能登金剛遊覧船有限会社」の支援についての記事をアップします。

 

巌門(2023年夏。能登金剛遊覧船に乗船したとき)

 

→(2024/5/26更新)目標金額達成しました!

  私も些少ながら支援させていただきました

 

良かったです

 

今年の正月早々の能登半島地震とその被害については、心穏やかではいられませんでした。昨年夏に石川県(羽咋志賀町・金沢エリア)を旅したからです。

 

能登金剛遊覧船を利用した記事はこちら

aoumiwatatsumi.hatenablog.com

 

石川県羽咋郡志賀町海岸線一帯の29キロが「能登金剛」と呼ばれる石川県を代表する景勝地です。
「巌門」は「能登金剛」のほぼ中央に位置し、南端には「福浦港」、北端には「義経の舟隠し」ゼロの焦点のクライマックスシーンで知られる「ヤセの断崖」を観る事ができます。

能登金剛遊覧船 公式ウェブサイト より引用)

 

この旅で、能登金剛遊覧船で美しい能登国定公園の海をクルーズしましたが、先の地震の被害状況を聞いて、微力ながら応援したい、と思いしました。

 

美しい能登金剛の海。手前に見えるのが遊覧船

 

支援した後、その旨x(旧:twitter)にてURLと共につぶやきました。私の影響力なんて(このブログ共々)微々たるものですけれど。

 

人間ができた方なら、黙って困窮した人々の支援をして、ひけらかさないでしょう。こういう人目に触れない形で奥ゆかしく徳を積むことを「陰徳」と言い、その逆を「陽徳」と言うそうです。陰徳の方が、徳を積む意味ではレベルが高いそうです。

 

となると、どこそこに寄付したよ~ん(大した額ではないですが)とその都度言っている私は大した徳を積めていないかもしれませんね。でも良いんです。

だって、私の在り方が陽徳だろうが陰徳だろうが、必要としている相手へ支援が届くことは確かなのですから。渡す金額が減る訳ではない。

 

見返りを求めない?

 

決してそんなことはなくて、誰かを助けるための支出は、結局自分のためです。困っている人々に、私は自分自身を投影しているのではないかと思っています(例えば、若い頃の仕事が定まらず困窮していた自分、とか)。

 

海が澄んでいて、岩場は荒々しく…

 

後はですね…私は俗物なので、極限状況に置かれたら、「この世は荒野なんだよヒャッハーッ!」と簡単に弱っている人を踏みつけて自分が助かろうとするだろう…そう思っています。それを見越して、そういう時が来ても罪を大目に見てね(人>ω•*)…というようなせこさもあるかと。

 

そう言えば、以前SNSで「陰徳を積んでいるとリターンも高い(良いことが起きるよ)」と説いている占い師だかスピリチュアルな人だかがいましたが、なんだかモヤモヤしました。「あざといなあ、それってもう陰徳じゃないのでは?」と。

 

結果的に困った人たちの支援につながれば良いのでしょうが、こういうこと言っていて・かつ”自覚が無い”人とはあまり関わりたくないな~とうっすら感じたものです。

 

花畑~

 

それでは、また!