青海のブログ

本や映画、展覧会の記録と感想等。時々、発達障害について。

『方舟』夕木 春央 著 感想

だいぶご無沙汰しております(›´ω`‹ ) 

 

さて、夕木 春央先生の傑作ミステリ小説『方舟』を読了したので、感想…というより自分用のメモとして記事をまとめました。

 

装丁も素敵です

 

 

【目次】

あらすじ

9人のうち、死んでもいいのは、ーー死ぬべきなのは誰か?

大学時代の登山サークルで一緒だった友人達と、従兄(無職)の翔太郎と一緒に休暇を利用して、長野県に遊びに来た若手SEの柊一。ちょっとした同窓会気分だったけど、メンバーの一人裕哉に先導されるまま、山奥にある、いわくつきの地下建築「方舟」を訪れ、偶然出会った矢崎一家とともに総勢10名で「方舟」内にて夜を越すことになった。
しかし、翌日の明け方発生した地震で、扉が大岩でふさがれた。さらに地盤に異変があったのか、「方舟」内に水が流入しはじめた。密室状態で全滅の危機がせまる。
そんな矢先に殺人が発生。
「だれか一人を犠牲にすれば脱出できる」という状況を突き付けられた一同。生贄には、殺人犯がなるべきだ。ーー犯人以外の全員が、そう思った。

 

上記の通りです。ミステリ、それもクローズドサークルものです。

評価:★★★★☆(5つ★満点)

 

感想(ネタバレなし)

私はすぐ騙されるアホなので、本書でもコロッと騙されました。

 

大変後悔したことは、本書は2022年9月に、講談社から刊行されたのですが、リアルタイムで読んでおけばよかった‼(涙)ということ。

読了者限定の『方舟』読書会、参加したかったー‼(とっくに終わっています)

読んだ方々と、色々語り合いたい。勿体ないことをしました。

 

読後感と、著者の人間へのまなざしが(だいぶ作風が異なるけれど)山田 風太郎を思わせるところがあるな…と感じていたのですが、「好書好日」で拝見した夕木 春央先生のインタビューで、一番影響を受けた作家に山風を挙げられていて、膝を打つ思いでした。

 

――そのほか、影響を受けた作家は。

 一番は、山田風太郎です。彼の作品は、ミステリーの要素と、小説としてのカタルシスが両立している。ミステリーの定番を壊し、しかもそれを、ミステリーの新境地を開拓するためでなく、あくまで小説として面白いから、という理由でさらっとやっちゃう。「妖異金瓶梅」や「太陽黒点」などは特にそうです。自分もそれを目指しています。

book.asahi.com

 

私も、『妖異金瓶梅』好きです(;´Д`)

 

 

 

感想(ネタバレあり)

さて、ここからは、夕木 春央先生の『方舟』のネタバレを前提にして書いています。

 

 

 

 

ネタバレになること、書いていますよ?

 

 

 

 

『方舟』未読の方は読んではいけませんよ?

 

 

 

 

いいですか?

 

 

 

 

 

…さて。

 

 

 

 

 

 

ここから、結末や真相に触れた内容となります。

 

箱舟とも書かれるけれど…

 

犯人の(というか作者の)強烈な悪意が素敵でした。

容赦ない苛烈さが、やっぱり山田風太郎っぽいと思います。

そして、タイトル『方舟』のタイトルがエピローグで回収されました。「方舟」に乗った(残った)人だけが助かる、という。

 

本作の魅力は、ミステリとしてより、最後の最後に作者が読者へ対してくらわす一撃であり、小説としての完成度にあるのでは、と私は思います(※あっさり騙された癖に偉そう…)。

 

ただ、(結局騙されたけれど)負け惜しみ的に、振り返ると設定に色々気になる点があるので、それについてまとめます。

 

『方舟』気になった点①

犯人は凄く頭の良いサイコパスという印象を受けましたが、そもそも…

何故隆平なんかと結婚した?

そして、職業が幼稚園の先生?(怖)

本作で一番怖かった点

 

『方舟』気になった点➁

犯人は(上手く隠してきたとしても)これまでその異常性が周囲に感づかれることはなかったの?と思いました。極限状況下で、初めてその異常性が発揮された…のかな?

 

『方舟』気になった点③

作者としては、この小説で主人公(と犯人)達一行がまず方舟内に入って、中で泊まり込むよう話を進めないといけないのは分かります。

 

しかし!この若者達には、あんたたち、登山サークルにいたなら、登山において「撤退の判断」がどんなに大事が分かっているでしょ?と言いたくなります。どれくらいのレベルで登山をしていたかは分かりませんが、彼らからは、自然の中で行動する怖さ・危機感を感じられませんでした。

 

今頃はスマホがあるから感覚が違うのかな…?例えば、山でなくても自然の中で行動をする際、非常に怖いのは、ちょっと怪我をした・道に迷ったなどのトラブルが、生死にかかわる事態につながりかねないリスクがあることです。

普段、人類の多くは文明の恩恵をうけて生活しているから意識していないかもしれませんが、私たちは自然の中では極めて脆弱な存在です。何かあっても、街中ならその辺の人に道を聞く、コンビニやドラッグストアで薬など必要な物資を買える、疲れたらバスや電車、タクシーの助けを借りて帰宅―などと、他の人達やインフラがある状態とは違い、山や海では、状況しだいで全て自分達の手持ちのカード(持ち物、体力、経験)でなんとかする覚悟が必要です。

山の中で道に迷う怖さ

 

迷った、少しでもおかしいと分かった時点で「今日はもう時間も遅いから別荘に引き返そう、“方舟”は明日朝早くに、もう1回探しにいかない?」と一旦はひく判断をするのが妥当でしょう。それなのに、誰も(犯人も)そんな提案すらしません。

その後も、日暮近くになっても前進をやめない一行はなんとな~く耐久性に難がありそうな木橋を渡り、もう別荘に戻れる時間ではないと言って、なんとな~く何が起こるか分かったもんじゃない(崩落とかガス漏れからくる爆発とか危険な人との遭遇とか)地下建築に入ってしまい、なんとな~く一夜を明かそうとする…という無茶な行動をとり続けます。

一夜くらい、地上でビバークした方がまだ安全じゃないですか?(夜露はしかたないけど、雨も降っていないし)何故非常に賢く、極限状況下でもぬかりのなかった犯人は、こんな一行にのこのこついていき、反対も一抜けもしなかったのか、と再読しながら不思議でしょうがなかったです。

 

『方舟』気になった点④

“方舟”内と外界とをつなぐルートが(※ある方がブログで指摘されていましたが)、最初の出入り口と非常口の2つ(人が一度に通れる程度の大きさしかない)のみ…という話でしたが、そんな訳ないですよね。建材や内装の資材、発電機のような機械類・家具・備品・工具類、これらの全てを運び込む別の通路が絶対ないとおかしい。

 

『方舟』気になった点⑤

あの問題の、鉄扉前の大岩。超~都合よくあそこに存在する説明がされていませんよね。元々の地下空洞にあったんですか?(んなアホな)人が運び込んだ…もっとなさそう。巻き上げ機で大岩を落としたら、操作していた人は閉じ込められ、1人だけ出られない…という設定も、説明されてもピンときませんでした。読んでいるときは「これはこういう設定なんだ」と自分に言い聞かせていましたが…

 

以上でしょうかね?負け惜しみ的な指摘は。

ここまでお付き合いくださった方がおられたら、有難うございます。

続編の『十戒』は読んでいる途中ですが、他に優先したい本があるので、読了までどれくらいかかるのか…

 

近況報告

久しぶりのブログ更新となりました(;´∀`)

今年、色々やること・やらないといけないことが重なって、そのうえに加齢・夏の酷暑でもうヘロヘロです。ブログで書きたいことがいくつかあったのですが、とてもじゃないけれど余裕がなく…

ほんと、こんな感じです

 

9月はまた資格試験を受験する予定です(難易度はそう高くないですが、年なので本当に呑み込みが悪くて…(›´ω`‹ ) )。

 

こんな休止状態の零細ブログへ来ていただいた方、読んでくださった方、ありがとうございます。

 

それでは、また!

2024年末-2025年正月_カンボジア旅行⑧ 補足事項

エアコン買い換え手配しました(夏に向けて。命かかっています)

さて、カンボジア旅行記は終りましたが、零れ落ちたメモ書き的なものをあげます。

バンテアイ・スレイ遺跡

 

【目次】

 

 

蚊の脅威、服装

旅行前は、とにかく情報収集に務めました。

特に蚊が怖いなと思っていました。マラリアデング熱を媒介するので、とにかく肌の露出を避けること。

蚊は怖いんだよ~

 

そして、日焼けも結構なダメージだとか。旅行時期のカンボジアは、乾季で最高気温30℃・最低気温20℃程度。昼は直射日光もなかなかのものです。

日焼けを舐めてはいけません

 

勧められたのは半袖やタンクトップはさけること。長袖推奨です。検討して、トップスは長袖でスポーツ系ウェア(ゴルフウェアやランニングウェア)を用意しました。

靴は、遺跡観光向けとして、KEENの(レディース)NEWPORT RETROというアウトドア用サンダルを購入しました。これを履いて長靴下とレギンスで、下半身はガードです。

引用元:KEEN楽天市場ショップサイト

 

加えて、蚊取り線香に、虫除けスプレー、ハッカ油(※虫が嫌がる)を荷に入れ、現地でも虫除けスプレー購入。かかってこいやーゴラァ!と準備万端でした。

結論:今回の旅で、私が蚊に刺されたのは、1回だけでしたカンボジア最終日、シェムリアップのタ・プロームホテルのロビーで最後の荷造りしていた時のみ)…あれ?

森の中の遺跡に何度も行ったのに、全然刺されず?(露出する部分には虫除けスプレーしましたが)乾季だから?でも、ボウフラが湧きそうな池や水たまりは沢山ありましたけどねぇ。

 

後、カンボジアは(フランスが旧宗主国だったからか)現地の方は長袖が多いそうです。おフランス人曰く「半袖なんて着るのはアメリカ人くらいなもの(*^Д^)σ」だそうですが、実際はカンボジア人でも長袖や半袖が混在していたかも…

 

スマホ(通信)

私のスマホ楽天モバイルなので、データローミングをONにしたら、そのまま海外で使用できました(契約内容によるし、渡航先にもよる)。2GB/月の範囲内なら、特別超過料金はとられません。

だから、現地でSIMカード購入とか面倒な手間はなく、助かりました。

往路で成田空港から離陸後は、一旦スマホの電源を切っていましたが、以前の記事に書いたとおり台北緊急着陸した際、電源入れたら、「データローミングをONにしますか?」とデバイスが案内を出してくれました。イイコイイコ( ´・ω・)ノ“(・ω・` )

 

aoumiwatatsumi.hatenablog.com

 

それ以後は、そのまま(日本との)LINEとか海外で問題なく使えました。勿論、日本帰国時には、自分でデータローミングをOFFに戻しました。

 

両替、クレジットカードなど

カンボジアでの現地通貨は、リエルですが、米ドルも使えます(紙幣のみ。10セントとか25セントとか硬貨は使えない)。基本米ドルさえあれば、現地では大丈夫(※お釣りはリエルで返って来る)なので日本で円→米ドルに両替していきました(その方がレートが良いですし)。

米ドルはベトナムでは使えなかったです

 

クレジットカードが使えないお店もあるので、頭を必死に振り絞って額を決めて、両替しました。私が今回利用したのは、株式会社 外貨両替ドルユーロという会社でしたが、良い対応だったと思います。

クレジットカードは、普段使っているのはマスターカードなのですが、カンボジアではVISAカードの方が通用する、また複数あった方が良いということで、エポスカードを新たに作り、持参しました。

 

こんなこと、過去の海外旅行では考えなかったです(恥)。何でも自分で調べて自分で決めないといけない、当たり前だけど新鮮でした。

 

チップ

カンボジアでは、元々チップの習慣はないです。

しかし、欧米人観光客の影響で、だんだんチップをあげたほうが良い感じになってきています(チッ、あいつらまた余計なことを…)今回、私も旅行会社に相場額を聞いて、ホテルの掃除スタッフさん、ドライバーさん、ガイドさんにそれぞれチップを渡しました。

チップはドル札で渡しました

 

懺悔すると、カンボジア1日目(プノンペン)でのホテルスタッフへのチップ(枕の下にお札…)は失念してしまいました(汗)ゴメンナサイ。

現地では手持ちの米ドルをチップで渡せる単位に崩す(1ドル、5ドルとか)ことに、腐心しました。チップ渡す際に「お釣りくれ」とは言えませんし。それから、カンボジアでは米ドルもリエルも、汚れや破れがあるお札は、支払いで嫌がられます。だから、お釣りを貰う際は目を光らせていました。

 

食事

食事はまあまあでした。結局、観光客向け定番料理、アモック(魚のカレーを玉子でとじたやつ)やロックラック(牛肉を甘辛いタレと炒めた料理)、ラパウ・ソンクチャー(カボチャとココナツミルクのプリン)も食べずじまい…

アモック(引用元:Khmer Surinウェブサイトより)

 

旅行会社が予約してくれたレストラン(プノンペン夕食/1回、シェムリアップ昼食/3回)で出されるのは、ほぼココナッツチキンカレーと春巻(ケチャップで食べる、醤油と酢でいただく春巻が、恋しかったです)などで、他に似たような味でケチャップで和えたフライドチキンとか。こんなものばかりで、飽きてしまいました(食べられるだけありがたいですが)。後、アラフィフにはボリューミーな量だったので(残すのも申し訳なく…結局残したけど)しんどい…

 

唯一、朝食の定番のクイティウ(淡白なスープの米麺)は食べられました。癒しでした♪

タ・プロームホテル朝食でのクイティウ(左側の丼)

 

果物は東南アジア旅行での楽しみですが、冬なので、スイカ・マンゴー・グァバ・パッションフルーツがせいぜいでした。

 

トイレ

今回の旅行は、都市部や観光地だったから、基本洋式水洗トイレでした。

トイレは洋式しか勝たん

 

ただし、カンボジアは日本ほど下水道や水に溶けるトイレットペーパーが発達していません。だから、使用済みトイレットペーパーは、流さず便器脇のバケツなどに放り込みます。ただ、一度カンボジアの空港で、うっかり紙も流してしまったです。すみません…

 

1回だけ、アンコール・トム遺跡のバイヨンを観光中、下痢気味で行ったトイレが、昔行ったインドでも経験した、「済んだ後、バケツで汲んだ水で流すトイレ」でした。

 

衛生事情

カンボジアでは日本のように公衆衛生がしっかりしていないのは、その辺を野良犬たちがうろうろしたり転がって寝ているのを見れば一目瞭然です(腹ボテワンコもうろうろ)。東南アジアあるあるですが、皆狂犬病ワクチンなんて接種されていないので、接触は危険です。

 

こんなモップのようなワンコもいました

 

街中の庶民向け屋台やオープンテラスの食堂、お寺(お坊さんの所に食べ物が集まるので)には特に野良犬達がたむろっています。

 

ところで、カンボジア犬食文化圏内でして、最近は規制されている(多分欧米の影響で。チッ…)そうですが、田舎では今でもこっそり食べられるそうです。

そりゃあ、食べるよなぁと思います。古代からの食文化だったこともありますが、今も観光に頼る貧しい国ですから、生活がカツカツなところで、目の前を(誰ものモノでもない)タンパク源がうろうろしていたら、私だって食べますよ(味が好みかは別として)。おまけに避妊手術もしないから、野良ワンコ達は(全体的に痩せているけれど)どんどん増えるし(そして、多分飢えや病気、人間に捕まったりしてどんどん亡くなっていくのでしょうが)。

 

その他、上下水道も日本ほど発達していません。ペットボトルのミネラルウォーターは必携です。うがいや歯磨きも、水道水は使いませんでした(それでも腹こわしたけど)。

 

やはり、実際に旅しないと

オンライン英会話の教材や手持ちの旅行英会話本では、旅行を想定した会話の中で「May I recline my seat?」「Mind if I put my seat back?」なんて表現が出てきます。

飛行機の座席~

 

CAや後方の席の乗客に「あのぅ、座席を倒しても良いでしょうか?(´・ω・`;)」と聞く際のフレーズですね。

 

しかし実際に搭乗すると…離陸後シートベルト着用サインが消えると速攻で自分の席のシートを倒しだす乗客たち。後ろの乗客に確認なんて全くしていません、一切躊躇なし(笑)

 

後方の乗客に確認するなんて、お互い気にし合う日本ならではの文化なのかも…と思いました。

 

現代はネットで世界中の情報が溢れていて、地球の裏側のことでも知った気になっていますが、それでも実際にその地に行かなければ分からないこともあるのだな…と思います。

 

英会話学習は不要?

私の知人曰く、「日本を旅行する外国人の中には、日本語はほとんどできないけれど、スマホの翻訳機能で旅をしている人もいる。こんな時代に英語学習を盲目的に推奨する日本の政府や学校はどうかしていないか?そんな時間があったら日本のこころを学ぶこと(茶道や華道や古典の勉強やら…)に重きをおくべきだ」…と申していましたが、もう、どこから突っ込んで良いのかどうか…(;´∀`)

どんどんデバイスやアプリは進化していますね

 

まず、英語でも、「旅行英会話」に絞るとしてもですよ?外国語が碌にできなくても、スマホ一つで異国を旅行できる、という主張は、日本のような治安の良い国だからこそ許されること、国によっては、スマホを手にした直後、その手からなぜかスマホが消失しているようなエリアがあるという点が抜け落ちています。というか、世界ではそのような環境の方が圧倒的に多いでしょう。それに、ここまでスマホに依存していたら、無くした時が悲劇ですね(カンボジア旅行中の私でさえ、「スマホ無くした時が氏ぬ時だ」と常時思って行動していました)。

 

それに実際旅行していると、翻訳ソフトや電子辞書でポチポチ入力や検索をしている場合じゃない局面ばかりです。少しでも、片言でも(私の英語力は中学生レベルでさえないですが)英語を聞き、読み、話せるよう努力するのは必須だと思います。

 

今後(おそらく私たちが思っている以上のスピードで)通信機器の形状やあり方、アプリは進化していくでしょう。旅行でもビジネスでも、手ぶらで翻訳ツールの恩恵を受けて、語学学習を必死にしていた時代が笑い話となるかもしれません…でも、いましばらくは、まだまだ語学のトレーニングはおろそかには出来ないだろう、と思います。

 

長くなってしまいましたが、カンボジア旅行の記事は、今度こそ終わりです。お付き合いくださった皆様におかれましては、感謝です。

 

バイヨンの南大門

 

それでは、また!

 

 

↓2024年末-2025年正月のカンボジア旅行過去記事は、以下

 

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2024年末-2025年正月_カンボジア旅行⑦ カンボジア最終日、そして帰国

こんな時期まで年末年始旅行のことを綴っていて恐縮です。

さて、カンボジア旅行記(2024/12/27~2025/1/2)の6日目(1/1)の記録です。

アンコール・ワットでの初日の出

 

【目次】

 

アンコール・ワットでの初日の出鑑賞

この日は元旦。カンボジアでの最終日でもあります。

アンコール・ワット遺跡での初日の出鑑賞(&撮影)を希望していたので、AM4時起床して、身支度をします。遺跡での日の出は6:00過ぎくらい?と事前に伺っていましたが、なにせ混雑するので早く場所取りする必要があります。

 

事前に手配したトゥクトゥクドライバーとは、タ・プロームホテルのロビーでAM4:50頃待ち合わせて出発です。この日のロビーでは、同様に遺跡で初日の出を迎える予定らしき日本人旅行者が何組かいました。

トゥクトゥクに初めて乗りました

 

トゥクトゥク初乗りでしたが、夜明け前の道をアンコール・ワットへ向かいます。車と違って、外の風(と埃)にさらされるので、マスクは必携。

 

AM5:10頃アンコール・ワット西側のゲートに到着しました。ドライバー氏とは「AM7:30までにここに戻るよ」と約束して一旦別れ、遺跡へ入場しました。

遺跡から出た後での待ち合わせはどうする?と思って居たら、LINEで繋がるよう提案されました。LINEだとGPSで位置情報も共有できる、と。いや、便利な時代ですね~。

流れ星が発生していました

 

まだ真っ暗で結構な人数が奥へ向かいます。私は持参のミニ懐中電灯を使います。上を見あげたら星空が大変綺麗でした。流れ星も確認!

 

アンコールワット構内図(引用元:Amazing TRIP)

 

上図の通り、チケット確認所を通過して、西塔門を潜って目指すは聖池の手前辺り。遺跡のシンボルである3つのとんがりコーン状建築が池に写る、撮影スポットです。迷った上で、向かって右側の聖池前に陣取りました。私の前には既に先客が待機しています。

インスタ蠅狙いで日の出待ちな皆さん



しかし…立ち木や雲の関係か、もう既に日は上がっているようなのに中々見ているこちらへ太陽は姿を見せてくれません(涙)私の前にいた観光客達は、「もっと別のアングルから撮った方が良いんじゃね?」と河岸を変えて移動していくので、結構前が空きました。

日の出を待つインスタ蠅の皆さん

 

そうした後、やっと太陽が見えたので、私もいくつか写真を撮ってから、左側の聖池前に移動しました。こちらでもお写真とります。

左側の聖池前からの初日の出

アンコール・ワットの経蔵

アンコール・ワットにいたワンコ

 

ふ~、やれやれです。

 

良い時間になってきたので、西側の門に引き返し、LINEで連絡したトゥクトゥクドライバー氏と再会、そのままタ・プロームホテルへ戻り、朝食をとりました。

 

ホテルの食堂より見える風景

 

IKTT(クメール伝統織物研究所)

落ち着いたところで、ホテル近隣のIKTT(クメール伝統織物研究所)のショップに向かいました。IKTTとは世界トップレベルのクオリティのシルク制作(染めも草木染)、伝統的な絣の技術を伝えている施設です。旅行前に調べて、行きたいと思っていました。

 

ショップ入り口でワンコに吠えられる

 

入り口で野良ワンコ2匹にワンワン!と吠えられました(笑)。うち1匹は腹ボテなせいか、気弱な感じでしたけど。階上のお姉さんが笑って「UP, UP!(上へどうぞ)」と促すまま、建物2階のショップへ上がると、素晴らしいシルク製品の数々が…

 

店内には、糸になる前の繭(カンボウジュ種という、原種に近い蚕からとれる)から糸へ、それを染めて織る前までのもの、染料の材料となる植物やカイガラムシ(赤紫系の染めに使われる)などもサンプルとして展示されていました。

プロフー(フクギの幹)で染めたシルク糸

 

以前書いたように、カンボジアインドシナ半島の文化的な中心地でした。

 

aoumiwatatsumi.hatenablog.com

 

染織でも蚕と餌である桑の原種の起源が、インドシナ半島だという説があり、非常に古い養蚕の歴史があるそうです。また、インドで生まれた絣の技術はインドシナ半島に持ち込まれ、これが琉球経由で日本へ伝わったとされています。カンボジアでは、このようなシルクや絣の生産は、伝統的に農閑期の収入源として農村の女性達が母から子へと伝えてきたそうです。

…しかし拙ブログでこれまで書いてきたように、1960年代以降のカンボジア内戦で森は燃える人は殺されまくる人心は荒廃する…と国土はズタズタになってしまい、伝統的な養蚕や絣の技術は危うく消え去る寸前となりました。

 

それが、森本喜久男氏(2017年逝去)という日本人の方が主導して、その伝統技術は消滅寸前で復活することになりました。生産拠点は、シェムリアップ郊外の「伝統の森」という村です(今回私は行きませんでしたが)。

敷布はIKTTで購入したストール

 

 

 

まあそのような訳で、私が行ったショップでも、日本人のお客さんが多いようです。世界最高峰のシルクなので、結構お高いですが、モノは確かかと。

 

私は今回、絣ではなく、「黄色いストールが欲しい」と目標を定めての訪問でした。

 

それで、上の写真で敷布となっているストールを購入。フクギ(沖縄などで防風林となっている木)で染めた綺麗な黄色のシルクで、お値段は…秘密です。

お店のお姉さんが商品を入れてくれた手提げバッグの持ち手の紐部分が凄くて、「これ、シルクじゃね?」とドキドキしました。ビニールや化繊ではない感じです。

持ち手の紐がシルク?

 

午前中は階下(地階)で簡単な織りの作業をしていると聞いていたので、下も見学していい?と聞いたのですが、「No work!」だってさ…。元日だから?残念。

取り合えず、ホテルに一旦戻りました(滞在最終日の本日は正午までお部屋にいられるので)。

 

安全な街シェムリアップ

この日の予定としては、以下の通りでした。

12:00 ホテルをチェックアウト(荷物は預かってもらう)

13:00 近所でアロママッサージを受ける(60分)

15:15 トゥクトゥクでホテル→CDF(免税店)へ移動

16:00 CDF前から帰国のため空港行きシャトルバスで移動

→その後シェムリアップ新国際空港(SAI)からホーチミンベトナム)経由で、翌1/2(7日目)朝に成田空港着(帰国)

 

…という訳で、まだお昼前だったので、シェムリアップの街を散策しました。

地元民に人気のコーヒーショップ。駐車されたバイクの数が…

 

それまでの日でも思いましたが、シェムリアップはちょっと歩く分には予想以上に安全な印象でした。女一人でぶらぶらしていて、スマホを出していてもひったくられるような気配はなかったです。勿論、日本国内と同様な振る舞いやはめを外すような行動は論外ですが、普通に気を付けていたら、怖い目危ない目には会いませんでした。

パブ・ストリートのクラブやバーに行けば違ったかもしれませんが、行きませんし(何故カンボジアへ来てまで、わざわざそんなところへ行くのか私には分かりません(-_-;))

 

ブーゲンビリアの花がわさわさと

 

シェムリアップは遺跡観光でもっている街なので(※治安を悪いままにしておくと結局自分達の首を絞めることになる)警察官がなにかと睨みをきかせていますし、自警団の巡回もあるそうです。観光客らしき白人女性が何人か、ジョギング(!)していたり。まあ安全です。

 

ただ、街中は私にはそう面白いと感じられるお店やスポットがそうなく(IKTTのショップは別として)結構すぐに飽きてしまいました(苦笑)

メイド・イン・カンボジア・マーケットという、カンボジア国内の職人さん達によるクラフト・マーケット的なところにも行ったのですが、どれも今一つで、何も購入はしませんでした。

 

お昼近くなったので、「シーフードのポリッジ(お粥)が美味!」とネットに感想があったお店でランチすることにしました。

ぬこ様がいました

 

メニューでポリッジと出ているのは「snail」が入っているもののみだったので、「フーン、シーフードかな?(知ったかぶり)」とつい注文しました。

…無知って怖いですね。注文後ふとグーグル先生に聞いてみたら「snail=カタツムリ だよん♪」と回答が…!

私は、この世で最も嫌悪する生き物がナメクジで、カタツムリはその親戚のような位置づけ。光速でお店のお姉さんに「change the order, Please!!」と鬼の形相で駆け寄り、チキンチャーハンに変更してもらいました。良かった…すぐ気が付いて。

チキンチャーハンに替えてもらいました

 

万事こんなレベルのひどい英語力ですが、私は海外でカタツムリと接点を持とうだなんて全く想定していなかったので、仕方がないです。

 

Kaya Spa(カヤスパ)にてマッサージ

ランチも終わり、予約した時間が近くなったので、Kaya Spa(カヤスパ)というお店でアロママッサージ(60分)を受けに行きました(お店のHPから予約していた)。

 

価格も良心的、良いお店でした

 

中国や東南アジアでは、気軽に安いマッサージが利用できるのが良いですよね。

特にこの時期、お店がセールをしていた関係で、リーズナブルな価格で施術を受けられました。こういうお店の雰囲気(清潔さ、アロマの香り、フェミニンで優雅な感じ)は、日本でも同じような感じだな、と思いましたが、カンボジアでは全体的にもっとゆるさがあったかも。

最初にウェルカムドリンクをいただき、好きな香りを選んでお店の方へ解答。

 

卓上奥のアロマの瓶で、好きな香りを選ぶ

 

その後足湯を使わせてもらい、優雅~な気分に。その後の全身マッサージも、満足がいくものでした。

ただ…この頃からどうも喉に違和感が。風邪をひいたのかも、と思いましたが…

 

帰国の途へ

ホテルに戻り、フロントに預けていたトランクを引き取り、パッキングし直していたら、迎えにきたトゥクトゥクドライバー氏が来ました。タ・プロームホテルのスタッフ達にサヨナラして、帰国のため空港行きシャトルバス乗り場にトゥクトゥクで向かいました。

 

この後の帰国については、特筆すべきことはありません。多少のフライトの遅れはありましたが、なんとかシェムリアップホーチミン→成田と帰ることができましたあ。

ただ、風邪ひいた?と思った症状が、どうも何か感染症だったようで、帰国のフライトや帰宅後と、下痢などの症状でしばらくダウンしていました。

 

これで、カンボジア旅行(ちょっとベトナムも)の記録は終りです。お付き合いいただいた方々におかれましては、ありがとうございました。後日(別にニーズはないでしょうが)補填する意味でメモ書き的な旅の雑記をアップしたいと思います。

バイクの駐車はどこでも沢山でした

 

それでは、また!

 

↓2024年末-2025年正月のカンボジア旅行過去記事は、以下

 

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2024年末-2025年正月_カンボジア旅行⑥ アンコール・トム遺跡

冬はしっかり寒いのが良いです。

さて、カンボジア旅行記(2024/12/27~2025/1/2)の5日目(12/31)の記録です。

アンコール・トム遺跡、象のテラス付近(5つの頭を持つ馬の神の像)

 

 

【目次】

 

タ・プロームホテルでの朝食

この日は大晦日でアンコール・トム遺跡見学の予定。6:00過ぎに起床して、ホテルのレストランで朝食をいただきます。ビュッフェ形式で、クイティウ(カンボジアのあっさり目スープでいただく米麺)やオムレツはその場でスタッフが作ってくれるので、作り立てをいただけます。

タ・プロームホテルでの朝食(左がクイティウ)

 

シェムリアップでの滞在先であるタ・プロームホテルは朝食のビュッフェは品数は多くて美味しいし、立地が良すぎるしスタッフさん達は皆感じが良いし、設備面ではシャワーのお湯の出がいまひとつなのを除けば、良い印象しかないです。

 

ガイドさんとは早めにホテルロビーで待ち合わせて、明日(2025/1/1)私が乗車するトゥクトゥク(東南アジアで普及している、三輪自動車)の手配をガイドさんを通してホテルのコンシュルジュにお願い(※私はお金出しただけ)していただきました。

引用元:旅Note ウェブサイト

 

ガイドさん・ドライバーさんにお世話になるのはこの12/31日が最後なので、翌日の分のトゥクトゥクの予約が必要です。

↓以下2件についてです。

①1/1早朝のアンコール・ワットでの初日の出鑑賞 ②ホテルから近隣のCDF Angkor Duty Free Store(ここからシェムリアップ新国際空港(SAI)行きのシャトルバスが出る)まで送ってもらう

 

当初、上記の件は自分でなんとかするつもりでしたけれど、旅行会社の提案に甘えちゃいました。年寄りは安全第一です。

 

アンコール・トム遺跡見学はバイヨンから

さて、準備もできたのでアンコール・トム遺跡へ出発しました。かつてのクメール王国の最後の首都であり、アンコール・ワット遺跡群の中でも、最も重要な遺跡の一つです。中でも、中央付近の仏教寺院、バイヨン (Bayon) はアルカイックな観世音菩薩の顔の像で有名ですね。

 

バイヨンの南大門前で一旦下車、撮影タイムです。

バイヨン 南大門前(道の両側は乳海攪拌の像)

 

アンコール・トム遺跡もバイヨンも、基本仏教の施設として建造されていますが、ヒンズー教とも混交しているようです。上の写真にある、道の両側の像は、ヒンズー教創世神話 [「乳海攪拌」の様子を模しています。先日のブログでは、アンコール・ワット遺跡(ヒンズー教に基づいて建造された)にもこの乳海攪拌のレリーフがあることをお伝えしました。

 

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乳海を攪拌する阿修羅の像。道の反対側は神々の像が(引用元:Pixabay)

しかし、この南大門といい、中のバイヨン寺院といい、勿論美術的にも価値があるものなのでしょうが…あまりに出来すぎていて、テーマパークか映画のセットか?と思ってしまうきらいがあります。

 

南大門、内側から(引用元:Pixabay)

バイヨンの微笑み(引用元:Pixabay)

 

でも、外壁のレリーフは見ごたえありました。ちなみに、バイヨン敷地内には日本の企業が修復援助に来ていて、クレーンで何か作業をしていました。

バイヨンのレリーフは凄かった(引用元:Pixabay)

 

アンコール・トムのレリーフでは、当時の庶民の暮らしがリアルに彫られているのですが、闘犬や闘鶏の様子を見ることができます。ガイドさんに聞いたら、今でも「(違法だけど)田舎ではこっそりとやっている」とのことでした。

 

バイヨンにもあるデバター像

ガイドさん一推しの獅子の像

 

アンコール・ワットと違って、アンコール・トム遺跡(特にバイヨン)は露天の遺跡ですが、保全上は大丈夫なのかと思ってしまいます。

アンコール・トムは露天の遺跡

 

遺跡にいるサルども、そして腹痛

アンコール・ワット遺跡群は森の中にあり、野生のサルや犬がうろうろしています。(犬は街中の食堂でもうろついています)

バイヨンにて。不届きな人間がやった餌を食べるサル

 

特に猿は、一部の残念な観光客が餌をやっているせいで、人間に接触してくることもあります。というか、私はバイヨンでサルに持ち物を盗られかけました(-_-;)。石床に荷物を置いて、ちょっと持ち物整理しかけていたら、メモ帳に手をかけてきやがりまして…(危なかったです)。

 

でも、ここでサルを刺激して引っかかれると狂犬病感染のリスクがあります(街中の野良犬ズも同様)。

現在、カンボジア渡航に際して、義務付けられている予防接種はなく、今回の旅行のように都会にいる分にはそんなに神経質になる必要はありませんが、「アンコール・ワット遺跡群には野生のサルがいる、しかも観光客にしばしばちょっかいをかけてくる」と聞いていたので、日本で狂犬病ワクチン接種(3回も受けた!)だけしていきました。

旅行前に狂犬病ワクチン接種だけしました

 

サルは知能も高いし、器用(前足(手)が使える)分、性質が悪いです。

 

ところで。尾籠な話で恐縮ですが…前日夜の腹痛を経て、この日起床時にようやく下痢となりました。腹の不調は昼間の遺跡見学でも続き、バイヨンでもトイレに駆け込みましたよ…

 

バプーオン、王宮、ピミアナカス

アンコール・トム遺跡はバイヨンだけではありません。森の中の順路に従い、バプーオン、王宮(これは外壁しか残っていない)、ピミアナカスと遺跡を見学していきます。

 

バプーオンは下写真のようにピラミッド状遺跡です。一番最上階に登れる階段があるのですが、これは前日(12/30)に行ったアンコール・ワットの第三回廊へ上がる階段より急だ!と聞いて速攻でやめました(笑)

 

バプーオン

 

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ピミアナカス

 

(帰国後読んだ『アンコール・ワット旅の雑学ノート: 森と水の神話世界』によれば)ヒンズー教やそこから派生した仏教文化圏では、自然の山や人口の”山”状建造物は、世界の中心であるメール山 (須弥山)に見立てられていたそうです。アンコール・ワット遺跡も、このアンコール・トム遺跡のバイヨンやバプーオンやピミアナカスも、これに当てはまりますね。この本、面白かったです。

 

 

象のテラス、ライ王のテラス

象のテラス、そこに隣接するライ王のテラスは、王が自軍を閲兵するためのテラスです(この辺り一帯が平地(草原)です)。この辺りは、韓国が遺跡の修復援助をしている、とのことでした。

象のテラス

象のテラス

 

ライ王のテラスも、この象のテラスのすぐそばにあります。

基壇の緻密な彫刻(引用元:ベトナム王)

 

名前の由来は、その場所で発見された彫像がまるでライ病に侵されたように見えたこと、クメール王朝4代目の王 ヤショーヴァルマン1世がハンセン病に罹患していたという話から連想されたようです。この像の本物はプノンペン国立博物館に所蔵されているそうで、ここにはレプリカ像がおかれていました。

 

ライ王?像レプリカ(引用元:wikipedia

 

ところで、作家の三島 由紀夫がこれに着想を得て、ジャヤーヴァルマン7世(この人は都城アンコール・トムにバイヨンを建造した)を主人公とした戯曲『癩王のテラス』を執筆しています。私が子供の頃は文庫で売られていましたが、今は大人の事情で絶版(再販していない)ようです…

 

キリングフィールド、ガイドさん達とサヨナラ

この日は少し時間に余裕があったので、ガイドさんの提案で、キリングフィールドにも行くことになりました(どんな場所かはググってください)。

 

キリングフィールド、プノンペンで訪問する予定がパァとなったので、それは有難かったですが…え?プノンペン近くまで行くの(。´・ω・)?と一瞬混乱しました。

キリングフィールドのワンコ

 

後で分かったのは、「キリングフィールド」という場所はカンボジア国内に沢山あるということ。なーんだ(※良くないことですが)。

 

訪れての第一印象は「お寺だ」、とういこと。供養のためにお寺という形で死者を祀っています。シェムリアップ近郊のこの場所ではお坊さんの学校が併設されている、ということもあり、沢山のお坊さんがいました。そして野良犬達・猫達も(「お坊さんがいるところには食料があるから」…とガイドさんより)。

しかしここはただのお寺ではありません。発掘され、展示された沢山の人骨の写真は流石に撮れませんでした。その他、生存者が後から描いた絵やポル・ポト以下クメール・ルージュの幹部達の写真を掲載した案内板が掲示されています。

 

 

キリングフィールドのワンコ②

なんでこんなことになっちゃったんだろうなぁ…と思いつつ辞去しました。

 

さて、シェムリアップでのガイドMさん・Rさんとはこの日(12/31)が最後となります。御礼を言い、チップ(カンボジアでは元々ない習慣だけど、最近は浸透してきている)を渡して「チョムリアップ・リア(さようなら)」とお別れしました。

 

この日は大晦日ですが、明日はまたアンコール・ワットで初日の出を鑑賞するため、AM4時起き予定で早く就寝しないと!と夕食をとった後はホテルの部屋でさっさと寝ました。近隣のクラブなどでのカウントダウンイベントでうるさいかも?と旅行会社から警告を受けていましたが、それほどではなく、( ˘ω˘ ) スヤァ…となりました。

キリングフィールドのぬこ様

 

(…続きます)

 

↓2024年末-2025年正月のカンボジア旅行過去記事は、以下

 

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2024年末-2025年正月_カンボジア旅行⑤ アプサラダンス

カンボジア旅行記が長くなって済みません。自分としては備忘録的な意味で書いておきたいので。

さて、カンボジア旅行記(2024/12/27~2025/1/2)の4日目(12/30)続きです。

アプサラダンス

 

【目次】

 

一人旅の寂しさ

旅の4日目(12/30)、昼間のアンコール・ワット遺跡見学を終えた後は、シェムリアップにあるPor Cuisineというレストランにてカンボジアの伝統舞踊を鑑賞予定です。

 

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タ・プロームホテルに戻って一旦ガイドさん達と別れて、シャワー・着替えをすませました。そうして夜迎えに来た車で、レストランに向かいます。

Por Cuisine外観(※引用元:オークンツアーウェブサイト)

 

手持ちのガイドブックに載っていなかったお店ですが、若いダンサー達が頑張って運営しているようです。今思い出して良かったと思ったのは、私が行った日の夜のショーでは、(おそらく)中華系の団体ツアー客がいなかったということ。これは本当に感謝しないといけませんね…(うるさいだろうから)。欧米系のお客さん達が多かったようです。

 

私の席は前に1テーブル(欧米人の4人組)があるだけで、舞台にも比較的近いし、食事(ドリンク以外コースで決まっている)もまあまあ。

 

ただ、多分会場では一人客が私くらいだったので、ショー開始前までは、ちょっとぼっち気分を味わいました(・ω・`寂)………..

私は一人旅はそんなに寂しいと感じることはないのですが、こういうかしこまったディナー席で(周りが談笑しているのに)一人ではちと寂しいです。まあ、せっかくカンボジアまで来たので、一度くらいアプサラダンスを観ておきたかったからよいですけれどね。これも、経験です。

 

砂漠

ところで、自分のテーブルに着いたら、本日のコース内容・公演の演目を書いたメニューが置かれていました。これが日本語!で流石~と思って居ましたが…

日本語メニュー!

 

上の写真であるように、開いて左側のコースメニューの最後を確認したら、「ちょwwwおまwwww」となりました。「砂漠」って「dessert(食後のデザート)」と「desert(砂漠)」が混同されています。翻訳ソフトかAIに翻訳頼んだ時に、スペル間違えちゃったのかな?

食後の「dessert」ではなく「desert(砂漠)」…

食事後の「砂漠(クリームブリュレ)」

 

アプサラダンス

そうこうしているうちに、ダンスショーが開始。「アプサラダンス」はトリなので、それまでは庶民的な「魚捕りの踊り」や女神同士の「ロパム モニ メカラ」、クメール式キックボクシングの「ボッカタオ」などを鑑賞します。

 

最初は「祝福のダンス」。アプサラダンスもそうですが、スローテンポな優雅な踊りです。

祝福のダンス

 

次は庶民的な「魚捕りの踊り」。昔は魚を捕りに行く場が、貴重な男女交際の機会だった…というリア充爆発しろ、な踊り。こういうものは言葉がなくても万国共通で伝わりますね。

ブレていて済みません

こういうシーンは万国共通

 

女神同士の「ロパム モニ メカラ」は雨の女神メカラが、雷光の女神レムソとちょっと争う内容の踊りです。

左側がレムソ、右側の青い衣装の人がメカラ

 

クメール式キックボクシングの「ボッカタオ」は演舞と言う感じでした。女の子1人に男の子2人でえいやぁー!とやり合う感じ。女の子に花を持たせる演出で、実際にはこんなことは中々ありえないでしょうが、まあ受けを考えて…ですよね。

写真ブレブレで済みません

やたら声を上げる

 

で、最後は「アプサラダンス」でした。中央の白い衣装のダンサーがお姫様で、周りのダンサー達はそれに仕えるモブという感じが普通の演出のようです。

 

アプサラダンス

 

「アプサラダンス」、元々は宮廷舞踊に端を発しており、かつてはクメール王朝の元で発展しました。アンコール・ワットやアンコール・トム遺跡の中に姿を留めているくらい歴史がある伝統舞踊です。14世紀にアユタヤ王朝がクメール王朝を圧倒してアンコールを攻撃、版図に加えた頃には、自国の宮廷へダンサー達を連れて行ったので、タイ宮廷舞踊にも影響を与えています。

頭に飾る花はプルメリア(多産の象徴)

 

そんなこんなで、アンコール王朝滅亡後も、20世紀半ばまであったフランス領インドシナ(今のカンボジアも含まれる)でも、カンボジア宮廷舞踊は受け継がれてきました。

 

テンポ、動きはとてもスローで優雅

 

しかし、ベトナム戦争や東西冷戦に端を発して始まり、1970年代以降20年以上続いたカンボジア内戦、特に1975年~1979年の間のポル・ポト政権では、多くの知識人、歌手などが大量に虐殺の対象となりました。アプサラダンスのダンサーやダンス教師も標的となり、元々数百人いた内の9割が虐殺されたそうです。

(外国に逃亡していたなどで)辛うじて生き残った数人のダンサーや振付家―この人達も親族の多くを殺されましたーが、わずかに残っていた教本も助けにして、消滅寸前だった伝統舞踊をなんとか繋いできたそうです。

 

ところで、昼間見学したアンコール・ワットには、ロン・ノル政権(ポル・ポトが政権掌握する前の政権)とクメール・ルージュポル・ポト派)とが争った後ー銃撃戦の後である弾痕ーが遺跡の柱などに残されています。

遺跡内に残る内戦の弾痕

アンコール・ワット遺跡内の弾痕後

 

戦争は、嫌なものですね。

 

さて、伝統舞踊の踊りは指先の形、手足の動き、角度など、各所作にそれぞれ意味があり(踊りの基本の型は4500もの型があるとか)、全体としてゆったりとした優雅な動きだという印象です。

 

優雅~

 

ただ、全体的に見て、「2度目はないかな」という感想です(今回の公演に限ってです)。若い人達が頑張って伝統の継承に努めているけれど、まだまだ発展途上という感じ。一人ひとりのダンサーに凄みは感じられませんでした。

 

公演が終わったら、最後、「寄付をお願いします(`・ω・´)」との呼びかけドネーションボックスに寄付をしたら、演者たちと記念撮影できるようです。私も少し寄付しました!でも、記念撮影は遠慮しておきました。(∀`*ゞ)エヘヘ

 

謎の腹痛

この日の夜くらいから、なんだかお腹が痛くなってしまいました。屋台とか行かずに気を付けていたつもりですが、多分どこかの店の生野菜サラダやスムージーなどであたっちゃったみたいです。

尾籠な話で済みませんが、この晩はお腹が「痛い痛いイタタタタァ…」となっても下痢まで行きませんでした。この腹の不調は、帰国後まで持ち越すこととなります。

 

こんなもの食べていたからまずかったのか

 

(…続きます)

 

↓2024年末-2025年正月のカンボジア旅行過去記事は、以下

 

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2024年末-2025年正月_カンボジア旅行④ アンコール・ワット遺跡

前の記事と随分間が空いてしまいました(~_~;) もう2月に突入です…

さて、カンボジア旅行記(2024/12/27~2025/1/2)も、4日目です。

アンコール・ワット遺跡

 

【目次】

 

アンコール・ワット遺跡は素晴らしかった

旅も4日目(12/30)です。前日訪問したバンテアイ・スレイ遺跡が美的にも技術的にも非常にハイレベルだったので、「もしかしてアンコール・ワットやアンコール・トムを見ても、これほど感動しないかもな…」とちょっと思って居ました。

 

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結論。アンコール・ワットも、大変素晴らしい遺跡でした。すっごくすっごく良かったです!( ´∀`)bグッ!

アンコール・ワットは真西を向いて建造されている

バンテアイ・スレイ遺跡は勿論、この日の翌日に行ったアンコール・トム遺跡も、いずれもそれぞれに優れた頂。当時のアンコール王朝の繁栄と権力が伺えます。ちなみに、アンコール・ワットヒンズー教の寺院で、ヴィシュヌ神を祀っています。

 

敷地を分ける塀?手すり?はナーガをかたどっています。ナーガは頭が複数ある蛇神様で、ヒンズー教寺院でも(カンボジアでの)仏教寺院でも像を良く見かけます。

 

遺跡の要所要所にあるナーガ(大蛇)の石像

このナーガ像も良き

ナーガ像の後ろ側から見ても、精緻な彫り

 

遺跡内の要所要所に配置されたナーガや獅子の石像や、第1回廊内部や破風にあるレリーフといい、凄く緻密な彫りが施されていてため息が出そうです。

 

第1回廊の、日本の鎌倉時代頃に作られた一代絵巻的なレリーフが凄かったです。モチーフはヒンズー教神話・叙事詩の「乳海攪拌」、「ラーマヤーナ」、「マハーバーラタ」、また「天国と地獄」などで、実に壮大です。戦争の描写なども、大勢の兵士の入り組んで戦う描写といい、一人一人の登場人物(モブ含む)の生き生きとした描写も大変表情豊かです。

「ラーマヤーナ」か「マハーバーラタ」がモチーフのレリーフ

「乳海攪拌」はヒンズー教天地創造神話で、詳しくはWikipediaとか読んでいただくと良いですが、不老不死の霊薬「アムリタ」を得るために、「乳海(ってなんだよ…と思いますが)」を攪拌する話です。マンダラ山を「攪拌棒」として、ヴァースキというナ―ガーラ―ジャ(蛇神)を縄として使い、神々とアスラ(阿修羅)が攪拌する…と日本の「ダイダラボッチ伝説」を一瞬思い浮かべますが、こちらはもっと壮大なスケールです。なにせ1,000年以上攪拌していたって言いますから。

乳海攪拌。ヴァースキを抱えるヴィシュヌ?

これも乳海攪拌。ヴァースキを抱えて攪拌する神々

 

水中の、魚だかワニだがナーガだかが争い食い合っているレリーフも描写がリアルで凄かったです。

水中で食い合い生物たち

 

第一回廊では、もっと時代が下った江戸時代頃のレリーフもあるのですが、そちらは彫りも浅いし、クオリティはいまいちでした。

 

大きな壁面に彫られたレリーフ以外にも、柱や曲がり角の壁にあるレリーフも精緻。もうびっしりと彫られています。

細かい模様が…

これも大変精緻な彫り

十字回廊だったかな?こんな感じに各柱に彫られています

 

面白いことに、回廊のレリーフの一部は、制作途中でストップしてしまった「やりかけ」のものがあります。

 

まだ途中で放置されたのが分かるレリーフ

月神?だったかな

 

第三回廊に面した第二回廊?の破風部分も、彫りが凄かったです。

これぞアンコール・ワットと言うべき細かさ

 

後、バンテアイ・スレイ遺跡でもありましたが、窓枠の内側に下の写真のように飾り棒を並べた連子窓的な石の窓(第二回廊だったかな?)。これも素敵…

アンコール・ワットの石の窓

 

伽藍を彩るアプサラスやデバター達

アンコール・ワット遺跡群には、アプサラス(水の精霊。前述の「乳海攪拌」で誕生した)やデバター(女神 宮廷に仕えた女官や踊り子の姿を写したようです)のレリーフもとても沢山あります。デバター像は、西塔門入口付近にもありますが、十字回廊から奥に更に沢山ありました。どれも露出度が高く、エロティック。そして、それぞれ異なった姿。当時のアンコール・ワットに近侍していたリアルな女性達を想像させます。

 

アプサラス

どれも乳房は真ん丸、写真でしか知らないけれどインドはカジュラホのミトゥナ像(男女交合像)の女性達を思わせます。インドの影響は当然あるでしょうね。

 

寺院の外壁のデバター像

二人、三人のデバター像も

下から見上げたデバター像

ガイドさん推奨のデバター像

遺跡中のデバターは一人ひとり異なる造形

 

アンコール・ワットやアンコール・トム遺跡に残されたアプサラスやデバターの像は、カンボジアの伝統舞踊で、今もプノンペンシェムリアップで上演されるアプサラダンスの振り付けの中に、その姿が生かされているそうです。

伝統舞踊アプサラダンス(※画像はPixabayより引用

でも、当時は上半身裸で褌姿という露出度高めの艶めかしい姿が通常のものでしたが、現代の、生身の女性が演じるアプサラダンスは袖なしシャツを着用して、これはこれで悪くない印象です。

 

カンボジア人にとってのアンコール・ワット

注:この後、豚さんの丸焼き画像を掲載しているので、駄目そうな方は閲覧を止めてください

現代のカンボジア人の大部分は仏教徒上座部仏教)だそうです。その次がイスラム教やキリスト教だそうで、ヒンズー教はほぼいないそうです。

 

アンコール・ワットクメール王朝全盛期(12世紀頃)に建造された

 

前述の通り、アンコール・ワットは元々ヒンズー教寺院として建造されています。でも、プノンペンのガイドSさんによると、カンボジア人にとってこの遺跡は死ぬまでに一度は行きたい場所だそうです。そりゃあそうですよね、自国が誇る最重要観光地。自分の祖先たちが一番ブイブイ言わせていた頃の遺産ですから。

アンコール・ワットは結婚の記念写真スポットとしてもカンボジア人に人気なようで、敷地内でカメラマンの前でポーズをとるカップル(古式の衣装でコスプレしている)が結構いました(アンコール・トム遺跡(バイヨン)にもいました)。ちなみに、この辺の遺跡群は、アプサラ機構という組織が管理していますが、遺跡内での(商用利用などでの)写真撮影は、この組織への申請が必須だそうです。

 

さて、現代のアンコール・ワットの十字回廊か第二回廊あたりで、仏像が祀られていたりします。

※引用元:Unsplash

 

お祈りにくるカンボジア人らしき人々もいて、花やお香や果物などの食物が備えられています。丸焼きの豚がお供えされていた像もありました(私の記憶違いでなければ、これはヴィシュヌ神像の前だったような…)。

ガイドのMさんに「この豚、(人間が)食べないんですか?(´ᴖωᴖ`)ニタァ」と聞いたら、やっぱり「後で皆で食べる」とのことだそうです。そうですよね(笑)

 

※引用元:Pixabay

 

東南アジアでは、フィリピンのレチョンやバリ島のバビグリンなど、豚の丸焼き料理の文化があるようで、カンボジアでもあるのか!と思いました。

 

宗教の話に戻りますが、クメール王朝(現在のカンボジアの基となった王国)の12世紀前半の王 スーリヤヴァルマン2世は、名前が表すように(「スーリヤ」はインドの神話の太陽神のこと)、ヒンズー教バラモンを側近として重用し、ヒンズー教の寺院としてアンコール・ワットを建造しました。この頃は王国の全盛期で、今のベトナム・タイ・ミャンマーの辺りまで版図としていたそうです。

 

太陽

 

その後、大人の事情で、数代後の王ジャヤーヴァルマン7世は仏教で国を統治しました。この王様はアンコール・トムを建造した(※内部にあるバイヨンは仏教寺院)とされています。

 

おっかなかった第三回廊の階段

アンコール・ワットの第三回廊と中央祠堂(この遺跡のシンボル的なとんがりコーン状の3つの塔)は、伽藍の中で高い位置に建造されています。

 

この階段は、現在登るのを禁止されています

 

だから、第三回廊に上がるためには、現代に設置された木造の階段を上らなくてはなりません。また、帽子はとる、妊婦さんはだめ、などここで制限があります。

この階段が凄い急角度で高度も半端なく、怖かったです(降りる時の方が)。

 

※引用元:Pixabay

 

降りる時は、自分の足元だけを見て、身体を横向きに・手すりから絶対に手を放さずにそろそろと降りました。ガイドのMさんによると、「昔はこんな(最近設置された木造の)階段はなかったし、手すりもなかった」そうです…: (((;"°;ω°;)):ガクガクガク

 

第三回廊自体は、特に印象深いことはなかったです。帰路、階段を無事に降りられるか?で頭が一杯でw

凄い急傾斜ですなぁ…とう感想だけ

 

ただ、中央祠堂の塔のてっぺんに避雷針が設置されていたことを覚えています。近年設置したそうです。また、これらとんがりコーン建築の屋根部分は、ガイドさんによると、年1回専門の職員が上に昇って、生えた草を除去するそうです(怖~)。

 

この屋根上の草もちゃんと除去しているそうです

 

映えるための遺跡維持の努力

今のカンボジアは貧しく観光に頼っているので、重要な観光資源である遺跡群の管理・メンテナンスには腐心しているようです。中でも最重要スポットであるアンコール・ワットでは、観光スポットとして常に「映える」状態を保つため、沢山の人員を使ってのお手入れに余念がありません。

 

遺跡敷地内をせっせと掃除するスタッフさん

遺跡の要所要所にある獅子の像はプリケツ!尻尾はとれています

 

例えば、上の写真のように、お掃除をするスタッフさんがいますし、大伽藍を囲む環濠に職員さんがボートを出して、水中の藻や睡蓮などの水草を随時除去しています。勿論、遺跡に生える草の除去もあります(気が遠くなる…)。前述の通り、中央祠堂のてっぺんの草取りも1年に一度実施され、塔には避雷針まで設置されています。

そして、構内に沢山の監視員達も配置されています。

 

向かって前方奥、芝生部分はスプリンクラーが稼働しまくり

 

カンボジアは、だいたい11月~5月が乾季なので、私がアンコール・ワットへ訪問した時も、遺跡構内の草地部分が綺麗な緑の状態を保つため、スプリンクラーがしょっちゅう稼働していたり、放水用タンクを搭載したトラックが来ていたのには驚きました(バンテアイ・スレイ、アンコール・トムではここまでやっていませんでした)。

 

乾季の対策にスプリンクラー



…すっかり長い記事となってしまいました。

本当は、この日の晩鑑賞した、アプサラダンスについても書きたかったですが、次回記事にまとめることにします(;´∀`)

 

近隣のレストランでいただいたランチ

 

(…続きます)

 

↓今回のカンボジア旅行の過去記事は以下。

 

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2024年末-2025年正月_カンボジア旅行③ アキ・ラー地雷博物館、バンテアイ・スレイ遺跡

年明けかと思っていたら、時間が過ぎるのが早い…

さて、カンボジア旅行記(2024/12/27~2025/1/2)も、3日目です。

 

アキ・ラー地雷博物館前にて

 

【目次】

 

カンボジア旅行過去記事は、こちら~

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大慌てでの朝食、さようならプノンペン

プノンペンのホームシックホテルにて起床、この日は7:15に出発なのでホテルの朝食ビュッフェをいただきに、食堂へ6:30頃に下りました。

 

この時はそんなに食べませんでしたが

 

私が食堂に入ろうとしたら、スタッフのお姉さんに「まだやってないよ!(`・ω・´)」と阻止されました。えぇ?

「フロントでは6:30からやっていると聞いたけど?(;´∀`)」と確認したら、「まだ料理が提供できない、7:00から来て!(`・ω・´)」と言われてしまいました。

 

オーノー!現場とフロントで齟齬があったようです(;´Д`)

 

朝食7:00開始で7:15出発…というと、15分(以内)でご飯を食べなくてはいけないようです。ひー。

それならばと、7:00前に再度食堂へ降りる際、部屋を引き払うことにしました。荷物(スーツケース)はフロントに一旦預けて、改めてビュッフェへダッシュ。バタバタと食事を済ませてフロントに迎えに来ていたガイドさんに再会、チェックアウトして、車でプノンペン国際空港に向かいます。

 

プノンペンはかなり治安が悪いらしいですが、シェムリアップは比較するとかなり安全だと話してくれるガイドのSさん。この方は空港のチェックイン直前まで一緒にいてくださり、色々とお話を聞かせてくれました。

 

Sさんにお礼を言って別れて国内便にチェックイン。シェムリアップ行きの便は1時間程度遅延しましたが(あるある)、なんとか搭乗して出発しました。

 

機内から見えたトンレ・サップ湖?

 

アキ・ラー地雷博物館

シェムリアップ国際空港(SAI)に到着。この12/29から3泊4日、シェムリアップに滞在することになります。空港出口でガイドのMさん、ドライバーのRさんと合流、まずはこの日の目的地、アキ・ラー地雷博物館に向かいます。

このシェムリアップ国際空港は新しく、旧空港と比べるとシェムリアップ市街地からのアクセスが遠くなってしまったそうです。空港付近は街から離れた森と荒地と畑ばかりの風景。たまに、簡易ドライブイン的な店(空港のお店は高額なので、カンボジア人向けの飲食店など)が点在しています。全体的に赤い土だな…という印象。

 

そうしているうちに、アキ・ラー地雷博物館に到着しました。

 

アキ・ラー氏が除去した地雷を収めた建物

 

ここ、アキ・ラー博物館は、元クメール・ルージュの少年兵で、当時地雷を埋める側だったアキ・ラー氏(今50代位?らしい)によって運営されています。彼はその後転身されて、カンボジア国内の地雷除去を率先して行っておられるそうですが、その活動紹介と、実際に除去した地雷などが展示されています。

 

アキ・ラー氏の写真と活動紹介の部屋

 

カンボジアというと、「地雷」を連想される方もおられるのではないでしょうか(悲しいことですが、この国は現在、世界有数の地雷埋設国です)。カンボジア近現代史については、恥ずかしながら私は少しさらった程度なのできちんと説明できないのですが、最初にカンボジアで地雷が埋められるようになったのはベトナム戦争の影響で1960年代後半からだそうです。

その後、1970年以降の親米のロン・ノル政権、1975年~1979年のポル・ポトをいただく共産主義クメール・ルージュが支配する時代と、それに終止符を打ったベトナム軍(カンボジアに進駐した)、親ベトナムヘン・サムリン政権…と地雷を埋めた勢力は多種多様なようです。地雷だけではなく、ベトナム戦争時期、隣国のカンボジアの共産化を恐れたアメリカにより、カンボジアは滅茶苦茶な量の爆撃を受けています。

 

米軍のクラスター爆弾だったかな?(違っていたら済みません)

 

ベトナム戦争や東西冷戦を背景としたカンボジアの内戦は、1991年パリ平和協定の調印まで約20年間以上続くことになりますが、それによってカンボジアの国土(と人心)はすっかり荒廃し、貧しい国となってしまいました。そして、戦後も国中に埋設された地雷により、手足を失って苦しむ人々が沢山…地雷が性質が悪いのは、被害にあった人の命を奪うとは限らないことです。

 

除去した地雷などの兵器

 

勿論、シェムリアップアンコールワット遺跡群などの観光地は、かなり除去されていますが、田舎ではまだまだ、下手にその辺の藪に入るのは大変危険とされています。

 

アキ・ラー氏の話に戻りますが、彼は自分の正確な生年月日が分からないそうです。幼少時にクメール・ルージュの少年兵となり、両親はクメール・ルージュに殺されたそうです。その後、ベトナム軍に捕まってからはベトナム軍の下で戦っていたそうです。そうして今は、地雷を除去する活動に従事されている…という激動の人生を歩まれています。

 

マネキンと銃などで再現された、クメール・ルージュの兵隊たち

 

暑い中、重装備で時間と労力をかけての地雷除去活動。私がショックを受けたのは、ガイドさんの説明で、この活動で命を落とされるスタッフさんもおられる、ということです。正に命がけの活動です。

 

地雷探知の機器

沢山地雷や手榴弾、機関銃などが展示されていました

 

重苦しい気持となりましたが、行って良かったです…

 

バンテアイ・スレイ遺跡

アキ・ラー地雷博物館を出て、近隣のレストランでランチをいただいてから、バンテアイ・スレイ遺跡を見学しました。アンコール遺跡の一つで、世界遺産でもあります。

 

繊細なレリーフの数々が、美しかった~

 

ここは、ヒンズー教の寺院遺跡で、リンガ(ヒンズー教の寺院で見られる男性の象徴)や見られます。レリーフシヴァ神やその妃のパールバティ、「ラーマヤーナ」の場面など、ヒンズー教の神話や伝説に基づくモチーフばかり。

 

これは破風?のレリーフが、落ちてしまったもの

 

非常に精巧で細かい彫刻で、技術的にも美的にも素晴らしい遺跡でした。

 

レースみたいに繊細なレリーフ

額縁みたいに正確な四角形の石組


シェムリアップの大地は全体的に赤い土…と書きましたが、この遺跡全体が赤っぽい石で作られています。そうして、何の木だか、随分樹高が高い白い幹の木々がある地域でした。木の上にいる、オウムの鳴き声が響き渡る中、じっくり遺跡を見学しました。

 

この算盤みたいな柱も凄く精巧なつくり

美しいレリーフ

破風の左右の端部分がナーガ(蛇)となっている

精巧なレリーフが沢山

建築も見事

偽の扉(開けられない)


上の写真のように、建築のそこかしこに、デバター(女神)のレリーフが。「バンテアイ・スレイ」のバンテアイは砦、スレイは女という意味で、この遺跡は「女の砦」を意味するです。その名の通り、全体的に女性的な遺跡でした。

全体的に、優美な印象

美しい

バンテアイ・スレイ遺跡では、遺跡のそこかしこに、見張りの人がいます。世界遺産なので、変なことする人がいないか見張っているそうです。また、ほっておくと草が生えてくる(熱帯モンスーン気候ですしね)ので、時々除去もしているそうです。今のカンボジアは観光が重要な収入なので、そこは力を入れているようです。

ガイドのMさん

シェムリアップでの観光でお世話になったガイドのMさんは(年は聞きませんでしたが)、おそらく50歳以上かな?と言う印象でした。

 

遺跡で、文書が彫られた部分

 

ところで、バンテアイ・スレイ遺跡は東向きに作られています。東側の入り口から入って、奥(西側)へ進んで行くのですが、その西の、遺跡の最奥部を抜けた向こう側?からちょくちょく音楽の生演奏らしきものが聴こえてきました。

 

バンテアイ・スレイ遺跡、外濠から

 

Mさんに「あれ?音楽が聴こえてきますね?」と聞いたら、低い声で「あれは(地雷で)手足を無くした人達が観光客相手に演奏している」と返答されました。

 

Mさんは、結局その演者達がいる場所に、私を連れてはいきませんでした。

 

後から思うと、Mさんは年齢的に(私の推測する年齢が間違っていなかったら)はポル・ポト政権時代を幼少期に経験されている可能性が高いです。

 

バンテアイ・スレイ遺跡にて

 

でも、気が付いたところで、そんなデリケートな話題をいきなり出すことはとても出来なかったな…と思います。

 

そう言えば、この後滞在する、シェムリアップ市街地でも、片方の肘から先が無いカンボジア人を見かけました。あれも多分地雷のせい…

 

バンテアイ・スレイ遺跡の帰りは、遺跡の奥(西側)から脇道を通って、入り口側(東側)に戻りました。途中でシロアリの巣(木の根元に大きく土が盛り上がった塚状の形体)を見ました。日本と一緒で家を食い荒らすらしいです。

 

タ・プロームホテル

この日の観光を終えて、シェムリアップ市街中心へ移動しました。

宿泊するホテルへ行く前に、CDF Angkor Duty Free Storeという免税店に寄ってもらいました。買い物目的ではなく、このお店の前から空港行きのシャトルバスが出ているからチケットを事前に購入するためです(最終日このシャトルバスを利用するため)。最終日はガイドさんがいないので、購入のサポートをお願いしました。

 

そうして、シェムリアップ観光の基地となるタ・プロームホテルに到着、チェックインしました。立地は抜群に良い場所で、スタッフさん達も感じが良く、朝食ビュッフェも中々良いホテルでした。

 

株式会社エイチ・アイ・エスウェブサイトより引用

 

実はこのホテル、ネットで「Gが出る」という口コミをいくつか拝見していたので、そこが懸念点でした。酷い時は、何匹も出る、枕の上にいる…など。

 

結局カンボジアでは一度も見なかった

 

私はGを素手で叩き潰したこともありますし、まあ東南アジアだし、古いホテルみたいだからある程度は仕方ないよね…と思っていたのですが、あまり出るならばとGホイホイの持参も検討していました(結局やめた)。

 

結論、私の部屋には一度も出ませんでした。*:゜☆ヽ(*’∀’*)/☆゜:。*。

 

滞在したタ・プロームホテルのお部屋

 

晦日も、「近隣のクラブがカウントダウンイベントするから、騒音があるかもしれません」と事前に旅行会社から言われて覚悟していましたが、それも杞憂でした。だから、私にとってこのホテルの印象はとっても良いです。

 

夕食は、ホテル近所のレストランで適当にとりました。翌日(12/30)はいよいよ、アンコール・ワット遺跡の見学となります。

 

夕食時頼んだカクテル

 

(続きます…)