青海のブログ

本や映画、展覧会の記録と感想等。時々、発達障害について。

映画『ミセス・ハリス、パリへ行く』感想

明けましておめでとうございます。

 

さて、昨年暮れに滑り込みで映画『ミセス・ハリス、パリへ行く』をTOHOシネマズシャンテにて鑑賞できたので、その感想をアップします。

 

原作はポール・ギャリコ

 

2022年製作/116分/G/イギリス
原題:Mrs Harris Goes to Paris
配給:パルコ

 

評価:★★★★★(5つ★満点))

 

1950年代、第2次世界大戦後のロンドン。夫を戦争で亡くした家政婦ミセス・ハリスは、勤め先でディオールのドレスに出会う。その美しさに魅せられた彼女は、フランスへドレスを買いに行くことを決意。どうにか資金を集めてパリのディオール本店を訪れたものの、威圧的な支配人コルベールに追い出されそうになってしまう。しかし夢を決して諦めないハリスの姿は会計士アンドレやモデルのナターシャ、シャサーニュ公爵ら、出会った人々の心を動かしていく。

(※「映画.com」サイトより引用)

 

原作は、『ポセイドン・アドベンチャー』や『猫語の教科書』『トマシーナ』等で知られる、作家のポール・ギャリコ作の小説(1958年発表)。新装の文庫版の解説は、町山智浩さんです。

 

 

以下、手短に感想です。

SNS上で、ポール・ギャリコの話をしていた時に教えてもらった小説『ハリスおばさんパリへ行く(日本での旧題)』が映画化する、と聞いて楽しみにしていました。ただ、昨年は、簿記2級の受験勉強で、公開には間に合わないかも…とリアルタイムでの鑑賞は半ば諦めていました。

それが、年末になんとか試験に合格したので、仕事納め後の年末に、滑り込みで鑑賞が可能となりました。

 

(かなりご都合主義のストーリーだと思いますが)時々現実のシビアさを挟みつつも、夢を実現させていく過程が痛快。結末も、映画では原作とちょっと違う着地を用意しているようです。「ようです」と言うのは、原作はまだ読み終わっていないからです。

 

ディオールのドレス?百貨店で購入すれば良いじゃん」と思われるかもしれませんが、当時(1957年)のディオールなどの”メゾン”のドレスは、1点もののオートクチュール(オーダーメイド一点物の最高級仕立服)を指します。これらは王族や貴族が社交界で着るものですから、同じドレスを着た人がかち合うなんてことはあってはならず、注文主(着る人)の体型を採寸して作る、本当に唯一無二の仕立服でした。だからとっても高額なのです。

 

雇用主宅でディオールのドレスに出会う

 

それをバリバリの労働者階級のミセス・ハリスが「欲しい」と乗り込んでくるのですから、パリのディオールのメゾンはすったもんだとなります。

大体みんな人が良く、彼女を受け入れていくんですけどね。

 

以下、いくつか引っかかった点。

 

他国とはいえ、フランス同様に階級社会であるイギリスから来たミセス・ハリスがTPOとかわきまえないことに疑問。雇用主を通じて、上流階級の空気とか知っていた筈なのに。「自分には分不相応だ」と自分を縛ることはしない。そこが良いのかもしれませんが。

 

ハリスさんの親友のヴァイ(バターフィールドさん/同じ掃除婦仲間)は映画ではアフリカ系の女優エレン・トーマスがキャストされています。これに既視感が。

ギレルモ・デル・トロ監督の映画『シェイプ・オブ・ウォーター』で、サリー・ホーキンス演ずる発話障害持ちの中年女性であるヒロイン(白人)が、政府の機密機関で掃除婦をしているのですが、同僚で親友のゼルダがアフリカ系なんです。非白人のキャストを増やすのは、ポリコレということでしょうかね。いいんですが、主人公(白人)をあれこれ助ける相方役は、いつもアフリカ系なんかい!と思います。

 

 

また、ディオールの"メゾン"で開催される、顧客向けのファッションショーで出てくるモデル達が、やけに非白人が多いのが気になりました。作品の時代(1957年当時)、アフリカ系にアジア系と、こんなに出てくるかな?と思いました。ちょっとググった範囲だと、1960年前後から、アジア系モデルがパリコレクションに起用されだしたようで(※山口 小夜子さんのパリコレクション起用は1972年から)、観覧している顧客が全員白人ばかりだったようなのも(これは当時その通りだったと思います)、観ていて少し不自然に感じました。今のポリコレの観点で作っているのかな???と思いました。

 

話は外れますが、ミセス・ハリスがパリ行きの飛行機に乗っているシーンで、隣席の紳士が喫煙するシーン、あれは当時そのままといった感じで好感が持てました(今ならとんでもないことでしょうけどね)。

 

閑話休題

当時のファッションショーは今のプレス達が揃って鑑賞するパリコレとは異なり、前述のようにオーダーメイドの服を購入する顧客向けの、内輪のショーでした。だから、気に入ったタイプのドレスがあれば、「○番を」とお店の人に言って、そこから採寸してたった一つの自分だけのドレスを作って貰うのです。時間もかかるし、非常に贅沢なものでした。仮に5番を作って欲しい!と思っても、先に他のお客さんが5番を注文していたらその型は諦めないといけません。

しかし…その前に、「見本」として見せるための服(ショーでモデルが着るためのもの)を作らないといけないので、非常にコストがかかるのだとため息をつきそうになりました。

 

オートクチュールは採寸が命

 

そんなこんなで楽しく鑑賞できましたが、映画では上流階級向けのオートクチュールの伝統が衰退し、プレタポルテ(高級既製服)がファッション界を席巻していく経済面の”革命”についても描いています。中産階級の台頭あってのことです。労働者階級のミセス・ハリスがディオールのドレスを欲しいとパリに乗り込んでいく姿は、時代(1960年代前夜!)の嚆矢でもあるのです。

そして、本作は「Invisible Woman(見えない存在)」と言われてきたミセス・ハリスが誰に見せびらかすためでもない、自分のために高級ドレスを購入したいと夢を追求する様が感動を呼ぶのです。

 

映画のパンフレット

 

年末の締めくくりに、大変良い映画でした。

 

それでは、また!