青海のブログ

本や映画、展覧会の記録と感想等。時々、発達障害について。

久しぶりの国立国会図書館、そして『敗戦から立ち上がった少年たち』感想

秋田県、大丈夫でしょうか…( ´•̥̥̥ω•̥̥̥` )

 

さて、『敗戦から立ち上がった少年たち』という冊子を読むため、先日、久しぶりに永田町の国立国会図書館へ行ってきたので、その記録です。

 

今回、ほぼ本館のみの利用でした

 

【目次】

 

国立国会図書館まで行った理由

だいぶ空いてしまいましたが、前回の記事で取り上げた、横浜港の港湾事業者のトップである「ハマのドン」こと藤木幸夫氏を取り上げたドキュメンタリー映画『ハマのドン』に関して。

 

aoumiwatatsumi.hatenablog.com

 

この映画で取り上げられていた、敗戦直後に藤木氏(当時まだティーンエイジャー)が地域の不良少年達を集めて結成した「レディアンツ」という少年野球チームについて、私はもうちょっと詳しく知りたいと思っておりました。それで、その辺りのいきさつを書いた『敗戦から立ち上がった少年たち』(ヨコハマともだち会 発行)という冊子の存在を知り、閲覧するために国立国会図書館まで暑い中足を運びました。

 

この本、自費出版みたいなもので、今は中々入手困難なようですから。

 

久々の国立国会図書館

所蔵している国立国会図書館は、コロナ禍の頃は、利用にも抽選で選ばれないと行けない状態でしたが、今は開館日であれば(利用者カードも忘れずに)普通に利用できます。久しぶりなので、食堂とか少々変わったな…と思いつつ、短い滞在時間ながら満喫してきました。

 

国立国会図書館は閲覧依頼のシステムが独特

 

ここでの利用の流れについては、他に色々とご紹介されていると思いますので、省略します。

平日だからそう混雑はしておりませんでしたが、経験上、あまり遅い時刻に着くと検索・閲覧・複写申し込みで利用するPCの席も中々空かない状態になるので、早めに行きました。食堂に図書館の書籍を持ち込めないので、お昼の時間も考慮しないといけません。

 

今回、『敗戦から立ち上がった少年たち』と『へとへとパン 小麦粉を使わない白崎茶会のかんたんレシピ』を閲覧申し込みしました。…後者は、前から読みたいと思っていたので(ここまで来て1冊だけなんて勿体ないし)。

待ち時間は、津村記久子さんの小説『水車小屋のネネ』(これは持参した私物)を読んでいました。それに、ギャラリーで昔のイギリスのボタニカルアートの展示があったので、そちらも覗いたりして。

 

 

小規模ながら、美しい展示でした

 

時間を見て、システム上でも希望した書籍2冊の到着を確認したので、カウンターにて受取り、閲覧室で急ぎ読みました。

 

『敗戦から立ち上がった少年たち』

かいつまんでご説明すると、この冊子の発行元の「ヨコハマともだち会」というのは、藤木幸夫氏が中心となった、横浜の政財界、個人事業主など異業種の方々が集まる会だそうで、元々は、小此木彦三郎氏という政治家の選挙の後援会ということで始ったそうです(前回の記事の通り、藤木氏は自民党員です)。

 

執筆は、元神奈川新聞社所属で、(本書発行当時は)横浜港振興協会参与である田代昌史氏。本書の内容は、藤木氏が結成した「レディアンツ」という少年野球チームの来し方を中心に、それにまつわる横浜港の逸話や藤木氏の人物について色々語られています。

 

富士塚レディアンツ」というチーム名で今もあります

 

映画『ハマのドン』感想でも書いたように、藤木幸夫氏のご尊父は、横浜港の港湾事業者の重鎮、藤木幸太郎氏です。敗戦直後でもかなり良い暮らしをしていたのは、家に女中さんがいて、当時としては珍しい冷蔵庫(そして、その中身―食料もあった)がご自宅にあったという情報からも伺えます。

 

それでいて、ご近所からは「あそこの家は博打打ちだ、ヤクザもんだ」という偏見も持たれていた…世間的にはそういう位置づけであったようです(※この辺の話は、前回記事「映画『ハマのドン』感想」をご参照ください)。

 

ヒソヒソ…

 

そんな中で、近辺の青年達の中から「あの人を俺たちのチームの監督に迎えようじゃないか」という声が上がり、民主主義を教わったばかりの幸夫少年は、「民主主義を集団で試す機会がやってきた!」と喜んで引き受けたそうです。

 

やはりお坊ちゃん、でもただのドラ息子じゃあない

『敗戦から立ち上がった少年たち』を読んでいて、やはり…と思ったのは、最初は集まった不良少年達は(野球をやりたかった人もいたでしょうが)、藤木家の冷蔵庫(の中の食料)が目当てだったようです。餌付け!

 

食料が乏しい時代だった

 

幸夫少年が傑出していたのは、ただ皆に野球をさせるだけではなく、毎週土曜日に自宅にメンバーを集めて色々な勉強会をしようと呼びかけたことです。はじめは餌付けされて集まっていた少年達へ本を読め、テーマに添って三分間スピーチをしろ!しゃべった内容を書け!と指導して、会の機関紙を発行…と皆の教養の向上にも努めていたのですが、凄いと思ったのは、地域社会への奉仕活動を指揮したことです。

 

その頃、地元の妙蓮寺駅から藤木邸までの道は、舗装されておらず雨が降るたびにぬかるんで、近所の人達が困っていたそうです。

それで、幸夫少年が考えた解決策は、ご尊父の幸太郎氏に頼んでコークスの燃えカスを運んで貰う手はずを調えて、届いたそれをスコップで道路に撒いて均す、というものでした。当然一人ではやれることではありません。レディアンツメンバーを指揮してやらせたそうです。怠けている奴には鉄拳制裁。ちなみに、届けてもらったコークスの燃えカスは、トラックで400、500台分。お…お坊ちゃまパワーΣ(;゚д゚)!

 

お坊ちゃま

 

しかし、お坊ちゃまでも、与えられた境遇や物資に甘んじているばかりで、生かせない人は多いと思いますが、藤木幸夫さんは、ちゃんとそれを生かして周りに還元しているのが凄いと思います。

「自分の生まれた境遇を最大限に利用・活用して業績を残した」例としては、”看護師の祖”と言われるフローレンス・ナイチンゲールが浮かびますが、藤木氏も相当なものです。

 

話を道路の整備に戻しますが、そういうことをしていると、ご近所の人達が感謝やねぎらいの言葉をかけてくるそうです。ちょっと前までは、駅前でカツアゲなんかして、地域の鼻つまみものだった不良少年達に。そうして、働く味や、人の役に立つ喜びを経験させたそうです。

 

関連して、地域の夜回りもさせたそうですが、そんなことをしていたら、あまり悪いことが出来なくなりますよね(幸夫さんが目を光らせていますし)

 

夜回りもした


…と言う訳で、大物は、早くから大物なんだな…と感心して、本書を読了したのでした。

 

吃驚したこと

関連して、「ヨコハマともだち会」結成のきっかけとなった、小此木彦三郎氏についてWikipediaとは検索していて、驚愕しました。

映画『ハマのドン』に描かれていた、菅総理(当時)の側近で、2021年の横浜市長選挙へ立候補していた政治家の小此木八郎氏、この方は小此木彦三郎氏のご子息で、ご実家は横浜港の港湾事業者だとか。そして、ご実家は藤木家とは昵懇の仲で、八郎氏の名付け親は藤木幸夫氏だそうです。うわ~、皆繋がっている…

そうですよね、横浜市長に立候補するんだから、当然、地縁がある人だと考えるべきでした(;´Д`) まだまだ、港湾のことに関しては勉強不足です。

 

これから、暑い時期が長いでしょうが、皆さまご自愛ください。

 

それでは、また!