青海のブログ

本や映画、展覧会の記録と感想等。時々、発達障害について。

『砂の女』安部 公房 著 感想

地元は本日晴れていますが、とても風が強いです。

 

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カバー装画は妻の安部真知。この夫婦のその後を思うと何とも言えない気に…

 

さて、安部 公房の代表作である小説、『砂の女』の感想です。

読書会の課題本だったため、図書館で借りて読みました。

 

 

砂の女 (新潮文庫)

砂の女 (新潮文庫)

 


※注:盛大にネタバレしています
評価:★★★★★(5つ★満点))

 

【目次】

 

概要


言わずと知れた、安部公房の代表作(読売文学賞受賞)。20数か国語に翻訳されています。1962年刊行、1964年勅使河原宏監督で映画化(作品は、第17回カンヌ国際映画祭審査員特別賞)。

 

あらすじ


昆虫採集が趣味で、教師の仕事を休んで新種の虫を探しに、ある貧しい漁村へやってきた"男"。(仁木順平という名前も明かされるのですが、話の語りでは主に"男"。)
新種発見に執心する男は、砂地にまだ見つかっていない新種の虫がいるだろうと見込んで、S駅から乗り込んだバスの終点の砂丘の村へたどり着きます。が、ここは非常に奇妙な集落でした。

 

"すべての家が、砂の斜面を掘り下げ、そのくぼみの中に建てたように"見える村。

それぞれの家屋が"屋根のてっぺんまで、すくなく見つもっても、二十メートルはあるだろう"。砂丘の頂上から振り返ってみると、"まるで壊れかかった蜂の巣"。

 

こんな蟻地獄の底にあるような家(集落の外側、一番海側にある)に、男は一晩の宿のつもりで泊まり、騙されて閉じ込められてしまいます。その家には夫と娘を砂によって亡くした、30代くらいの女が一人住んでいました。

 

男は貴重な男手として、砂をかき出す労働に従事させられます。塩気と湿気のある不快感ばかりの砂との闘い、村人の監視、抵抗もせずに強いられた暮らしから出ようとしない女。何度も逃亡を試みる男ですが、その都度失敗して元の木阿弥。いつかは脱出するつもりで身をひそめながら穴の底で日々をやり過ごしていましたが…

 

感想


さくさく読めました。神話的、寓意的で普遍的な広がりを持つ不思議な話でした。小説で描写される、砂丘や砂や、月や女の表現も、妙に美しく、時に淫靡で艶やかなのが印象的でした。

 

初めに、結論が書かれています。結局失踪してから7年、男は砂の部落から逃げなかったと思われます。

生存しにくい砂の環境に適応した虫を探しに行った男が、結果そんな環境に適応してしまう皮肉。人間、どんな理不尽な過酷な環境でも、適応してしまうのかとため息をついてしまいました。

 

捕らえられ、閉じ込められた中から、元の日常に戻ろうとする男のあがき。しかし、その戻りたかった日常とはそれ程のものだったのか。こうなったきっかけは、ありあまる"義務のわずらわしさと無為から、ほんのいっとき逃れるために"です。妻とも冷え切った関係だったようです。

 

"いつも、別なことを夢みながら、身を投げ入れる相も変らぬ反復"と繰り返す毎日。この穴の中のそれと何が違うのでしょう。

 

勿論、大抵の人の日常とは退屈なものですし、だからといって全て振り捨ててしまう程悪いものではありません。小説で描かれる砂丘と重なってしまった部落の暮らしは、あまりに過酷です。

 

それでも、元いた社会を俯瞰するようになって、"欠けて困るものなど、何一つありはしない"と気付く男。絶え間ない砂との闘いの繰り返し、日課となった手仕事へのささやかな充足さえ見いだしてきます。

 

そして、"希望"と名付けた溜水装置。"希望は、他人に語るものであっても、自分で夢見るものではない"という言葉が別に出てきますが、これが小説終盤に、男が溜水装置のことを村人に語りたくてしかたがない、というところに繋がって行くように見えます。

 

しかし、作品が執筆された時代、日本は高度経済成長期。監視している部落の人間達も、いつまでこんな環境にしがみついていられるのか、疑問です。今の大人達が頑張っていても、後の世代が続くかどうか。

 

女の話題が範囲が狭いけれど、自分の生活の圏内に入ると、"見ちがえるほど活気をおびて来る"とあるところも、リアリティを感じました。まあ今のように性の多様性について話される時代から見ると、「男と女」と二元化された分析は不適切な話になりかねません。作中で人間の中で異常なケースとして精神分裂症患者、放火癖、酒乱、精薄、白痴等と並んで同性愛が挙げられているのも色んな意味で今ではまずいと思います。

 

とりとめのない感想になってしまいましたが、それでは、また!