初めに。
料理が好きな私でも、もし自分に子がいて、かつ超忙しい時に「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」なんて言われたら、間違いなく怒り狂います(「お前が作れよ!」です)。この発言は、今の子育て世代に関わる話でもあるので、そこは私は絡まないのですが、それはそれで。
立場は色々でも、フラフラになってまで自炊にこだわることは無いと思います。
その上で、自炊を推すんですけれども。
【目次】
料理が好きで良かった
自炊中心、出勤時もお弁当持参が多いです。
経済的理由が大きいですが、外食・市販の弁当類だと段々辛くなってきます。
辛いというか、味付け、油っこさ(酸化した油もダメ~(´;ω;`))、野菜の量等に違和感があるので、続きません。「食」は生命の維持、健康の面もありますが、精神的な側面も大きいと思っています。
大量生産の食事は、どうしても流通や効率の関係で「食べ物」というより「工業製品」となってしまうので、仕方がありません。違和感のない外食もありますが、それはそれなりの価格がつきもの。そうそう利用してはいられないのがつらいところ。
お弁当やフードデリバリーは、ゴミ(容器)が増えるという問題がありますしね。
それと、前述した通り(大変ラッキーなことに!)私は料理することがとても好きなのです。
自分一人の時は凄く簡単に済ませてしまいますが(栄養バランスは考えますよ!)献立を考えるのも全然苦ではありません(手際は悪いですけどね)。料理はクリエイティブ。冷蔵庫に今あるのものを使って(もしくは買い物で食材を追加して)如何に無駄なく美味しく作るか考えるのは楽しく、出来た物を味わうの勿論も快く、片付けもちゃんとします。作ることでも、精神面でのメリットがある感じです(気分転換や癒し)。
コンビニ弁当は食べません
それに、コンビニ弁当の類は、私は基本食べないようにしています。
意識高いのを気取っている訳では無く、前職の食品工場でコンビニ弁当の製造に携わっていたので"どういう風に作っているか"知っているからです。あれを見ていれば「…結構です」となります。
顧客の某コンビニチェーンは、フード類については結構評価が高いところですが、今は製造現場は外国人が多いですからね。衛生観念とか、一般の日本人とは違います。
(勿論、お客様であるコンビニチェーンは、定期的に抜き打ち検査をして、製品の衛生状態をチェックしています)
まあ、工場で製造される食品を敵視していたらきりがありませんが、それでもなるべく「素材」レベルで購入して自分で調理したものの方が安全だし、気持ちの上でも違います。だから、必然的に自炊となります。勿論、鮮度は重視していますよ。やみくもに自炊を賛美しているわけではありません。
テクノロジーの力を借りて効率化
経済的に許されるなら、今は優れた調理家電が沢山あるし、勝間和代さんが実践されているようなロジカルクッキングをするようにすれば、自炊も随分効率化ができると思います。(しかも健康的で美味しい)
どちらを取るべきか
先月は、オンオフともに非常に忙しかったです。
だから、外食やテイクアウトにも少々頼ったのですが、ある駅ナカの弁当屋で買ったおにぎりセットが口に合わず違和感がありました。工場製でしょうが、保存料とか、油なのか、(私にとって)変な風味が口に残ってちょっと気持ちが下がってしまいました。
だからその後、なるべく自炊を心掛けましたよ(それはそれで結構辛かった…)。
結果的に栄養のバランスがさえ取れていれば、簡単なもので良いと心掛けていましたが、そんな中でも料理が気分転換になるのか、ちょっと凝ったものをつい作ってぐったりしたりもしました(笑)
でも、自炊が苦手な上に忙しい方なら、他の選択肢もありだと思います。辛い自炊を頑張るよりは、外食やお惣菜に頼って、その分出来た時間でリフレッシュする方がよっぽど良いかもしれません。
「食」にまつわる文章
以下、「食」について読んでいて印象的だった文章のご紹介です。
元気が出る食事
雑誌『ku:nel Vol.57 2012年9月号』の記事「カレーなる饗宴」で紹介されていた、美術コーディネーターの小澤泰子さんの作る、人呼んで「魔女カレー」。
色々な材料を煮込んで、一度に30人分、3日かけて作るそうです。最後には肉も野菜も形がなくなって凄く美味しそうです。
一度に30人分作るのは、夜遅くまで仕事をしている女性たちを応援したいから。密閉容器に小分けにして、仕事仲間や友人たちに渡している。
(中略)「コンビニ弁当やレトルトじゃ元気は出ない。私も経験しているからわかるんです。簡単なものでも手作りのものの方がずっといい。これは緊急支援カレーなんです」
(『ku:nel Vol.57 2012年9月号』42~43ページより引用)
素晴らしいですね。私も作るだけならやれそう…でも社会性0なので、渡す相手がいません(笑)
胃がふくれても…
大原扁理さん著「年収90万円でハッピーライフ」で、食について言及されているくだりが興味深いです。
コンビニでアルバイトしていたとき、コンビニ弁当ばかり買っていく人って、独特の雰囲気がありました。胃はふくれても、気がふくれてないというのかなぁ。量は沢山買っていくわりに、いつ見ても元気ないし、覇気もないし、色気も洒落っ気も、あらゆる気がない人が多かった。たまに殺気が漂っていたけど、偶然でしょうか。
(「年収90万円でハッピーライフ」99ページより引用)
コンビニ弁当、作っていましたよ…!(自分は全然食べなかったから実感として分からない)
人の手が恋しくなる
雑誌『婦人公論 No.1556 2020年12月22日・2021年1月4日合併特大号』での詩人の伊藤比呂美さんのエッセイは、"あたしはこの頃人の手で作られたものに飢えているような気がする。"という文章で始まります。
コンビニのおにぎりもサンドイッチもサラダもゆで卵もサラダチキンも、味に飽き、匂いに飽き、添加物に飽き、それから何より、食べるものがすべて機械で作られていることにとことん飽きた。
(中略)料理は夫が死んだときにやめた。自分で自分のために煮炊きすることは、あたしにとっては料理じゃなかった。だから今しかたなしにやっている自炊も料理じゃない。適当に買ってきた野菜や何かを食べられるようにするだけだ。
(『婦人公論 No.1556 2020年12月22日・2021年1月4日合併特大号』54ページより引用)
やはり、流通している食品は、工業製品のようなもの。分かります。
それで、伊藤さんはスーパーやコンビニではない、街の小さなパン屋さんへ通っては
"人の手が(食べる人のことを考えながら)作ったものをゲット"する生活になっているそうです。
食はコミュニケーションなんだなあとこのエッセイを読んで思いました。誰かと一緒に食べる、誰かのために作る、誰かが自分のために作ってくれる…
個人的には、孤食も良いものだと思っていますが、確かに自分一人だと(栄養バランスだけ考えて)凄くそっけない食事になりますね。
今日も自炊しました。御馳走さまです。