久しぶりの在宅勤務が嬉しいです。とりあえず今月一杯の予定だそうですが、どうなるのか…?
今読んでいる本『コレクション日本歌人選051 源実朝』にある、「鎌倉右大臣」源実朝と臣下の御家人、塩谷朝業の和歌のやり取りが印象的だったので、短めの感想です。梅花の季節ですしね!
今年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』やアニメ『平家物語』がきっかけで、この辺りの時代の和歌に興味が出ています。
とは言っても、つまみ食いなのですが、式子内親王や源実朝、建礼門院右京大夫等の歌をネットで検索して見ては、「いいなあ」としみじみしています。
梅の花ですが、昔はその美しさが良くわかりませんでした。極度の冷え性で、寒いのが苦手。初春の寒冷な空気の中で凛と咲く姿をゆっくり鑑賞する余裕がまずありませんでした。それが最近、和歌や俳句に(少しだけど)触れているので、「いいものだ」と感じるようになりました。”ことば”の力で、季節の変化に意識的になっているのだと思います。
今の元号の”令和”だって、『万葉集』第五、梅花(うめのはな)の歌三十二首が元ですし、つい意識してしまいます。
さて、鎌倉幕府第3代将軍である源実朝ですが、前述の本によると、梅にちなんでこのような歌を詠んでいます。
君ならで誰にか見せむわが宿の軒端ににほふ梅の初花
『吾妻鏡』には、建暦二年(1212)二月一日、実朝が和田朝盛を使者として塩屋朝業に梅花一枝を贈ったという記事が見える。実朝は「誰にか見せむ」とだけ言って贈るよう命じたという。
(中略)
上句の「君ならで誰にか見せむ」という強い反語は、『古今集』の「君ならで誰にか見せむ梅の花 色をも香をも知る人ぞしる」という歌による。梅を贈られた朝業は、まさにこの「色をも香をも知る人」に当たるというのである。軒端の梅は実朝がこよなく慈しんだものであった。その初花を人に先立って見せたいと言われたのだから、朝業の喜びもいかばかりであったか。
これ、平安貴族同士のやり取りじゃないんですよ?当時東国武士の頂点に立つ(本人が望んだ訳ではなくても)武家の棟梁である青年と、それに使える御家人との間です。それが、私には逆に興趣を感じました。都から離れた無骨な東国で…と考えると味わい深いです。
朝業からの返歌は、以下のとおりです。
嬉しさも匂いも袖に余りけりわがため折れる梅の初花
(引用元は同上)
いいもんだな~、でも私は碌でもない人間なので、「薄い本(BとかLとかの)が出来そうなエピソード…」とか思ってしまいました、済みません(;^ω^)
そんな彼らのこころ豊かな交流も、約7年後の建保七年(1219)正月二十七日、実朝が甥の公暁に暗殺されることで終わりを迎えます。今の西暦で言うと1219年2月13日です。
そう、もうすぐ実朝の命日なんですよ。
しかも、彼の父である源頼朝の命日は、昨日(実際の逝去は1199年2月9日)だそうです(これらのこと知ってブログを慌てて書きました)。
塩谷朝業は、この実朝の死をきっかけに出家して信生と号し隠遁した…とのことです。
ちなみに、この塩谷朝業の母は、なんと平忠正(平清盛の叔父)の孫だとか。ヒョエ~、NHK大河ドラマ「平清盛」大好きな身としては、忠正おじさーん!と言いたくなりました。
それでは、また!!