先月は、7記事しか更新していませんのに、途切れずご訪問いただいていたようで、本当に有難うございます。今月以降も無理せずゆるゆるとやって行こうと思いますので、よろしくお願いいたします。
さて、萩尾 望都先生が約50年前、漫画家・竹宮惠子先生達と共同生活をしていた練馬区大泉時代について証言された『一度きりの大泉の話』の感想です。
※注:盛大にネタバレしています
評価:★★★★★(5つ★満点))
なお、発売時に河出書房新社からは、「大泉での日々については、今回、本書に記す内容がお答えできる全てであり、今後も本件について著者取材は一切お受けいたしませんことをご理解賜りますよう、お願い申し上げます。」と釘が刺されています。
感想
まず、はじめに
心から願うのは、「萩尾望都先生ができるだけ安らかに過ごせますように」これだけです。萩尾先生が、残された人生を、金輪際思い煩うことなく創作活動に捧げることができますように。安心できる人達に守られて、周りの思惑に悩まされることがありませんように。
簡単に言うと
本書は、竹宮惠子先生がご自分の漫画家人生を振り返って、萩尾望都先生への嫉妬に苦しんだ過去も込みで「懐かしい、良い思い出」とまとめた『少年の名はジルベール』に対して、萩尾先生が「大泉時代はそんな輝かしい良い思い出なんかじゃねー!!大失敗だったんだよ実態はこうだ現実はこんなものだろ超トラウマなんだよそっとしておいてくれ静かに創作させてくれ!あの時代を美化したドラマ化なんかまっぴらごめんだ、花の24年組?大泉サロン?少女漫画革命?少年愛?そんなのあんたたち"だけ"の話だろう、こちらは本当に一切関係ないから私抜きでどうぞ♪これまで通り絶対にお会いするどころか近づくつもりもないからよろしくヽ(`Д´#)ノ; 」
と宣言・周知するために書かれた本です。
葛藤や痛みも創作につながる
本書は、中々のトラウマ本で、非常に重くてため息をつくしかない読書の時間でした。
今後の生活を守るために、ギリギリのところで、やっとのことで書かれた著書ですが、これ自体大きな存在感のある見事な"作品"となっています。
50年も前のことをこれほど鮮明に思い出して書かれる萩尾先生の記憶力に驚きました。その記憶力で当時の生々しい葛藤や痛みも紙上に再現して、読者にトラウマを植え付ける筆力と言ったら。
あくまで、本書で語られるのは"萩尾先生の記憶する話"で客観的事実とは言えませんが…もう「花の24年組」とは「大泉サロン」とか安易に呼べないなと痛感しました。
私の立ち位置について
まず、自分のことを申し上げておきますと、「この世代」の少女漫画家さんでは、山岸 凉子先生・大和和紀先生・青池保子先生・大島弓子先生が最も馴染みがあります。
後、池田理代子先生。子供の頃は『ベルサイユのばら』のアニメが普通に放送されていましたから馴染みがありました。ただ、先生の作品では『オルフェウスの窓』が最愛です♪(これもドイツの音楽学校だな…)
萩尾望都先生と竹宮惠子先生に関しては、竹宮作品の方が昔から親しんでいました。
姉が所持していた先生の初期短編集『遥かなり夢のかなた―SF傑作集 』をきっかけにして、『変奏曲』シリーズ、『風と木の詩』、『ファラオの墓』、『イズァローン伝説』、『天馬の血族』、『紅にほふ』…と、読んでいました。
竹宮作品では『ノルディスカ奏鳴曲(ソナタ)』が一番好き♪ 『少年の名はジルベール』も、読んでいますよ。
そして、絵柄で、どちらが萌えるかというと、竹宮先生。萩尾望都先生は、昔の先生の描かれる絵が私には駄目でした。後年の絵の超絶な美しさは認めますが、基本萌えません。
…というように、萩尾先生の作品にはそれ程親しんでこなかったし、往年のファンの方々のように思い入れもありません。後年、少しづつ読むようになったし、『訪問者』『マージナル』や『由良の門を』(『寄生獣』のスピンオフ作品)等は、凄いと思っています。松屋銀座 他で開催されていたデビュー50周年記念「萩尾望都 ポーの一族展」にも行ってきました。
結局無理な話だった
前置きが大変長くなりました。
本書を読んで思ったことは、「個性の強い創作者同士が、一つ屋根の下で同居するべきではない」これに尽きます。
しかし、萩尾先生のように、当時若い女性一人が上京する場合は、それにご家族との関係からしても、この状況は避けられなかったでしょう。また、仮にこの同居が無かったとしても、萩尾先生のように自己肯定感が低くて不器用な大天才が生きていかれるうちに、後年、どこかで別の形でトラウマとなる経験があったのでは?と私は思っています。
本書の、萩尾・竹宮両先生(増山のりえ氏も交えた3者と言っていいかもしれません)の間に50年程前起こったことについては、特に何か言うつもりはありません。
20歳かそこらの小娘たちだし、「やらかしちゃったんだね、そういうこともあるよね」くらいの気持ちです。よろしくはないけれど、ありうる話です。
そうして先生が対面でその怒りを上手く表現できず、のみ込んでしまったから、竹宮・増山両氏も、まさか先生がこんなに傷ついて、引きずるとは思っても見なかったのかもしれません。先生も辛かっただろうなあ。きっとそれまで竹宮先生たちと一緒に過ごすのは楽しかったんだと思います。それが…
竹宮先生に対して
竹宮先生も、天才だと思っていますし、大泉での"核心部分"での竹宮・増山両氏のふるまいよりむしろ、その後の「噂」や、『少年の名はジルベール』執筆前後のことは、残念に思います。萩尾先生のところへ、竹宮先生との対談だの、大泉時代のドラマ化の話が持ち込まれているのは、竹宮先生がそれを止めないからですよね。少なくとも。実際あった肝心のことを伏せて。私にはそれがとても嫌でした。
ただ、個人的には「優れた創作者は人格者でなくてはならない」とは思わないので、残念なふるまいがあっても、作品が良ければ一読者としてはそれで良いと思います。後は、当人同士の話…
やった方は"それほど"とは思えないのでしょうか。けれども、やられた方は決して忘れなかったりする。もう性質が、決定的に合わなかったんだろうな、この二人は。
城章子さんがいてくれて良かった
本書を読んでいて、先生にマネージャーの城章子さんがいてくれて本当に良かったと思いました。
本書の末尾に城さんが書かれている文では、当時の増山さんのアイタタエピソードが紹介されています。ここに、大泉時代の美化や伝説化を敢然と阻止しようとする彼女の意志の力を感じました。(個人的には、確かに増山さん、残念なところはあったと思いますが、そういうこともあるよね~と思います。20歳くらいで勿論やらない人もいるけれど、これくらいあるわな~と思います)
その城さんは、元々竹宮先生のファンだったというところが運命の不思議さを思います。「噂」に対して、竹宮先生を電話で問い詰めて萩尾先生のためにしっかり怒るところが好き。竹宮・増山両氏とのいざこざからか、ストレスで眼を痛めた先生のために城さんが『日本沈没』を代わりに読んでいたら…のエピソードも好き。
本書で一番好きなところ
この本は、作家の創作の話も沢山書かれていて、そういう点でも面白かったです。一番好きな部分は、『トーマの心臓』執筆時のくだり。
執筆のために、書籍でドイツの年間降雨量や月ごとの平均気温、日の出や日没を調査し、現地の植生や樹木も種類を調べて作品に生かすところ。窓の外から見える木1本を描くのにおろそかにしないのは凄いと思いました。勿論ネットも無い時代です。
後、エーリクのセリフに萩尾先生が「出会う」美しいシーンも。
それでも思うこと
…とは言え、本書を読んで萩尾先生に対して思うことは、「何て執念深いのだろう」ということです。ハッキリ言ってこれぐらいのことで50年執念深く恨みを抱えていたなんて、正直ひきます。私も、20年以上抱えている恨みがありますが(時々思い出す)、そんな自分を顧みてひいてしまいますから。でも、こういう偏りが創作者として優れている所以なのかと思います。
それから、本書を読んだ感想で、萩尾先生、漫画を止めていたかもしれない?描き続けてくれて良かった!!という意見が結構ありましたが、(amazonのレビューにもありましたけど)この先生、そんな"たま"じゃあないでしょう。両親に漫画を反対・妨害され続けながら、潰されずプロの漫画家となり、50年以上漫画界という鉄火場に現役でいるんですよ?今でもその動向に大きな反響を呼んでいる。相当"怪物"だと思います。
毒親なのに離れないでいる子供
両親と言えば、彼女は家族とこそ訣別すれば良かったのでは?と思います(竹宮先生からはあんなに逃げ回っていたのにね)。子供の頃、親の庇護下にいた時ならともかく、成人して経済的に自立できてからも絶縁しなかったのはなんだか切なくなります。しかし、無責任な第三者の意見ですが、繋がっていても傷つく相手と切れず、その傷ついたことをいちいち書いていたのはなんだかなあと思います。
本書にもそんなことが書かれていますよね。だから、そう萩尾先生をいつまでも"被害者"扱いはしたくないのです。
…つらつらととりとめのないことを書いてしまいました。それでは!