青海のブログ

本や映画、展覧会の記録と感想等。時々、発達障害について。

2024年末-2025年正月_カンボジア旅行⑤ アプサラダンス

カンボジア旅行記が長くなって済みません。自分としては備忘録的な意味で書いておきたいので。

さて、カンボジア旅行記(2024/12/27~2025/1/2)の4日目(12/30)続きです。

アプサラダンス

 

【目次】

 

一人旅の寂しさ

旅の4日目(12/30)、昼間のアンコール・ワット遺跡見学を終えた後は、シェムリアップにあるPor Cuisineというレストランにてカンボジアの伝統舞踊を鑑賞予定です。

 

aoumiwatatsumi.hatenablog.com

 

タ・プロームホテルに戻って一旦ガイドさん達と別れて、シャワー・着替えをすませました。そうして夜迎えに来た車で、レストランに向かいます。

Por Cuisine外観(※引用元:オークンツアーウェブサイト)

 

手持ちのガイドブックに載っていなかったお店ですが、若いダンサー達が頑張って運営しているようです。今思い出して良かったと思ったのは、私が行った日の夜のショーでは、(おそらく)中華系の団体ツアー客がいなかったということ。これは本当に感謝しないといけませんね…(うるさいだろうから)。欧米系のお客さん達が多かったようです。

 

私の席は前に1テーブル(欧米人の4人組)があるだけで、舞台にも比較的近いし、食事(ドリンク以外コースで決まっている)もまあまあ。

 

ただ、多分会場では一人客が私くらいだったので、ショー開始前までは、ちょっとぼっち気分を味わいました(・ω・`寂)………..

私は一人旅はそんなに寂しいと感じることはないのですが、こういうかしこまったディナー席で(周りが談笑しているのに)一人ではちと寂しいです。まあ、せっかくカンボジアまで来たので、一度くらいアプサラダンスを観ておきたかったからよいですけれどね。これも、経験です。

 

砂漠

ところで、自分のテーブルに着いたら、本日のコース内容・公演の演目を書いたメニューが置かれていました。これが日本語!で流石~と思って居ましたが…

日本語メニュー!

 

上の写真であるように、開いて左側のコースメニューの最後を確認したら、「ちょwwwおまwwww」となりました。「砂漠」って「dessert(食後のデザート)」と「desert(砂漠)」が混同されています。翻訳ソフトかAIに翻訳頼んだ時に、スペル間違えちゃったのかな?

食後の「dessert」ではなく「desert(砂漠)」…

食事後の「砂漠(クリームブリュレ)」

 

アプサラダンス

そうこうしているうちに、ダンスショーが開始。「アプサラダンス」はトリなので、それまでは庶民的な「魚捕りの踊り」や女神同士の「ロパム モニ メカラ」、クメール式キックボクシングの「ボッカタオ」などを鑑賞します。

 

最初は「祝福のダンス」。アプサラダンスもそうですが、スローテンポな優雅な踊りです。

祝福のダンス

 

次は庶民的な「魚捕りの踊り」。昔は魚を捕りに行く場が、貴重な男女交際の機会だった…というリア充爆発しろ、な踊り。こういうものは言葉がなくても万国共通で伝わりますね。

ブレていて済みません

こういうシーンは万国共通

 

女神同士の「ロパム モニ メカラ」は雨の女神メカラが、雷光の女神レムソとちょっと争う内容の踊りです。

左側がレムソ、右側の青い衣装の人がメカラ

 

クメール式キックボクシングの「ボッカタオ」は演舞と言う感じでした。女の子1人に男の子2人でえいやぁー!とやり合う感じ。女の子に花を持たせる演出で、実際にはこんなことは中々ありえないでしょうが、まあ受けを考えて…ですよね。

写真ブレブレで済みません

やたら声を上げる

 

で、最後は「アプサラダンス」でした。中央の白い衣装のダンサーがお姫様で、周りのダンサー達はそれに仕えるモブという感じが普通の演出のようです。

 

アプサラダンス

 

「アプサラダンス」、元々は宮廷舞踊に端を発しており、かつてはクメール王朝の元で発展しました。アンコール・ワットやアンコール・トム遺跡の中に姿を留めているくらい歴史がある伝統舞踊です。14世紀にアユタヤ王朝がクメール王朝を圧倒してアンコールを攻撃、版図に加えた頃には、自国の宮廷へダンサー達を連れて行ったので、タイ宮廷舞踊にも影響を与えています。

頭に飾る花はプルメリア(多産の象徴)

 

そんなこんなで、アンコール王朝滅亡後も、20世紀半ばまであったフランス領インドシナ(今のカンボジアも含まれる)でも、カンボジア宮廷舞踊は受け継がれてきました。

 

テンポ、動きはとてもスローで優雅

 

しかし、ベトナム戦争や東西冷戦に端を発して始まり、1970年代以降20年以上続いたカンボジア内戦、特に1975年~1979年の間のポル・ポト政権では、多くの知識人、歌手などが大量に虐殺の対象となりました。アプサラダンスのダンサーやダンス教師も標的となり、元々数百人いた内の9割が虐殺されたそうです。

(外国に逃亡していたなどで)辛うじて生き残った数人のダンサーや振付家―この人達も親族の多くを殺されましたーが、わずかに残っていた教本も助けにして、消滅寸前だった伝統舞踊をなんとか繋いできたそうです。

 

ところで、昼間見学したアンコール・ワットには、ロン・ノル政権(ポル・ポトが政権掌握する前の政権)とクメール・ルージュポル・ポト派)とが争った後ー銃撃戦の後である弾痕ーが遺跡の柱などに残されています。

遺跡内に残る内戦の弾痕

アンコール・ワット遺跡内の弾痕後

 

戦争は、嫌なものですね。

 

さて、伝統舞踊の踊りは指先の形、手足の動き、角度など、各所作にそれぞれ意味があり(踊りの基本の型は4500もの型があるとか)、全体としてゆったりとした優雅な動きだという印象です。

 

優雅~

 

ただ、全体的に見て、「2度目はないかな」という感想です(今回の公演に限ってです)。若い人達が頑張って伝統の継承に努めているけれど、まだまだ発展途上という感じ。一人ひとりのダンサーに凄みは感じられませんでした。

 

公演が終わったら、最後、「寄付をお願いします(`・ω・´)」との呼びかけドネーションボックスに寄付をしたら、演者たちと記念撮影できるようです。私も少し寄付しました!でも、記念撮影は遠慮しておきました。(∀`*ゞ)エヘヘ

 

謎の腹痛

この日の夜くらいから、なんだかお腹が痛くなってしまいました。屋台とか行かずに気を付けていたつもりですが、多分どこかの店の生野菜サラダやスムージーなどであたっちゃったみたいです。

尾籠な話で済みませんが、この晩はお腹が「痛い痛いイタタタタァ…」となっても下痢まで行きませんでした。この腹の不調は、帰国後まで持ち越すこととなります。

 

こんなもの食べていたからまずかったのか

 

(…続きます)

 

↓2024年末-2025年正月のカンボジア旅行過去記事は、以下

 

aoumiwatatsumi.hatenablog.com

 

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