青海のブログ

本や映画、展覧会の記録と感想等。時々、発達障害について。

高田崇史先生が書く佐殿(源頼朝)の人物像

吉野家の元取締役の件は残念ですね。あれは、客ばかりか自社で取り扱っている製品まで馬鹿にしていたことが最悪でした。売り手が愛していないモノを誰が食べたくなるでしょうか。

 

さて、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』や、アニメ『平家物語』のせいで思い出した小説『QED ~ventus~ 鎌倉の闇』について簡単に語ります。

 

この本好きなんですよ

 

 

注:以下、高田崇史先生の『QED ~ventus~ 鎌倉の闇』について盛大にネタバレしています。

 

私は、昔は鎌倉が好きではありませんでした。子供の頃、親に連れて行ってもらいましたが、全体的にジメジメして陰にこもった印象があり、本書に出てくる銭洗弁天等も、どこが良いのかと思うくらい。

 

おまけにこれも連れられていった鎌倉宮(大塔宮)では、護良親王後醍醐天皇の皇子。鎌倉宮の祭神でもある)が幽閉されていたという土牢がおどろおどろしい印象で…野外、しかもあんなジメジメした(私の憎悪する)ナメクジが沢山いそうなところに何か月も閉じ込められていたなんて。

 

Wikipediaより引用

 

(実際には親王は、この土牢ではなく塗りごめた土蔵の中に幽閉されたという説もありますが、この時はそんな知識も無かったです)それだけでも涙目だというのに、当時土牢のそばにあった立て看板の絵図がトラウマでした。護良親王が殺される時か、怨霊となった後か、幽鬼のようなお姿の絵が描かれていて、夜おトイレにいけなくなるレベル。

 

前置きが長くなりました。

 

だから、『鎌倉の闇』で、何故鎌倉に幕府が開かれたのかという話には(自分には)説得力がありました。当時の鎌倉―鶴岡八幡宮周辺は、ぬかるみが酷いし、飲める水が乏しい(鉄分が多い)碌な場所ではなかったとか。そんな場所を何故頼朝が選んだのか?否、佐殿は「こんな場所しか与えられなかった」。

良く言われるのが、鎌倉は3方を山、1方を海に囲まれた要害の地だという説ですが、逆に頼朝を閉じ込めるためにこの地が選ばれたと。

 

白旗神社Wikipediaより引用)

頼朝は、坂東の御家人達の旗頭として担ぎ上げられました。そして、旗頭は「お飾り以上の意味はない」。反平家としての挙兵時も、源氏の御曹司という体裁ではありましたが「失敗したら腹を切らされる」立場でしかなかった。

 

高田史観では、頼朝は北条氏達坂東武者の傀儡でしかなく、とにかく立場が弱いものとして描かれています。

 

高田先生の佐殿は、(私の中で)どうしてもこのキャラクターにかぶってしまいます。

 

 反平家の挙兵もこんな感じだった?

 

(『スティール・ボール・ラン』1巻(集英社)より引用/以下画像も同様)

 

そう、スティーブン・スティール氏です。この操られ感。

 

凄く佐殿感ある

 

気が進まないなんて言えない、消されるかもしれないのだし。旗頭として自分の役目を(死に物狂いで)全うするしかない。

 

日本史上初の武家中心の体制づくりもこんな感じだった?

 

でも内心ガクブル。

 

嫁に泣きつきます

 

勿論、スティール夫人=後の尼将軍 です。

 

政子に「大丈夫よ佐殿/自信を持ちなさい……ガンバルのよ/あたしのかわいい人」とか言われる源氏の棟梁… ハイ、これを載せたいためだけに今回の記事を書きました(笑)

 

ただ、これはあくまで高田崇史先生から見た(そして私がウケた)頼朝像です。史実の佐殿がこの通りだと主張したいわけではありません。卓越した政治センスの持ち主だとか、冷酷な政治家だとか、政子のスパダリだとか、色んな頼朝像があって良いと思います。

 

それにしても、QEDシリーズは、タタルさんの歴史蘊蓄を奈々君と一緒にびっくりして聞くのが楽しいのですが、巻を重ねるごとに現代の事件がショボい添え物になる一方。この『鎌倉の闇』も、そう。もう歴史蘊蓄だけで完結させても良くないですか?先生。

 

 

それでは、また!