青海のブログ

本や映画、展覧会の記録と感想等。時々、発達障害について。

映画『ベネデッタ』感想

ハァ、1日ゆっくり休める日が欲しいです…(›´ω`‹ )

 

さて、年度末進行で滅茶苦茶忙しい中、ポール・ヴァーホーベン監督の映画『ベネデッタ』を鑑賞してきましたので簡単に感想をあげます。

 

高橋ヨシキさんデザインの日本版ポスター、素敵です

 

klockworx-v.com

 

2021年製作/131分/R18+/フランス
原題:Benedetta
配給:クロックワークス

 

評価:★★★★★(5つ★満点))

 

氷の微笑」「ロボコップ」の鬼才ポール・バーホーベン監督が、17世紀にレズビアン主義で告発された実在の修道女ベネデッタ・カルリーニの数奇な人生と彼女に翻弄される人々を描いた伝記映画。

17世紀、ペシアの町。聖母マリアと対話し奇蹟を起こすとされる少女ベネデッタは、6歳で出家してテアティノ修道院に入る。純粋無垢なまま成人した彼女は、修道院に逃げ込んできた若い女性バルトロメアを助け、秘密の関係を深めていく。そんな中、ベネデッタは聖痕を受けてイエスの花嫁になったとみなされ、新たな修道院長に就任。民衆から聖女と崇められ強大な権力を手にするが……。

(※「映画.com」サイトより引用)

 

水曜日夜、新宿武蔵野館にて鑑賞。お客は劇場の8割以上入っていたように見えます。日本版のポスター等、アートディレクション高橋ヨシキさんによるもの。どおりでタイトルフォントがひと昔前(昭和)な雰囲気だと思いました(とても良い!)パンフレット売り切れだったのが、残念(´Д⊂ヽ

 

以下、twitterで鑑賞直後からつぶやいた内容を元にした感想です。

※監督のお名前の表記は日本版ポスターにならい、ポール・「ヴァーホーベン」監督とさせていただきます。

また、ただでさえ私はカトリック(というかキリスト教全般)に無知な上に、スクリーンの字幕が座席の位置のせいか照り返しで読めない時がしばしばあり、色々と読み取れないまま鑑賞が終わった感じがします。それを前途で感想を語ります。

 

しかしですね、この映画を鑑賞した私自身の状況をご説明しますと、超忙しくて睡眠不足でふらふら、平日真っ只中の夜20:45からの上映で全131分ある映画なんて途中できっと寝ちゃう(疲労度MAXだし)と思っていたのに、映画は全然ダレずに鑑賞できました。良く分からなかったのに、不思議です。鑑賞後もギンギンに目が冴えてtwitterで感想をつぶやいていました。要するに…私には面白い映画だったようです。

 

どうやら私には面白い映画だったらしく…

 

ヴァーホーベン監督の映画を鑑賞するのは、『スターシップ・トゥルーパーズ』以来かもしれません。あれも傑作でした。ロバート・ハインラインの原作は未読ですが、作中の軍国社会ならではのマチズモを徹底的にからかい、(いかにも頭の悪そうな)プロバガンダ映画のようにしあげてきた批評性は凄いと思いました。

 

 

さて、そんな監督が2021年に発表した映画『ベネデッタ』も、一筋縄ではいかない作品でした。原作となった本を元にだいたい忠実に映画化されているようです。

映画を鑑賞していて、モデルとなった実在のヒロインの尼僧、修道女ベネデッタ・カルリーニは最後まで本物の聖女なのか、確信犯のペテン師か、はたまた電波体質の哀れな狂人か、良く分からなかったです。限りなく黒に近いグレーだという印象は受けましたが、真実はどこにあるのか、彼女自身にも分からないのでは…

あの、ヒロインが男声で語りだすのは、現実的に(肉体的に)”ありうる”ケースではないかと思いましたが。

 

バルトロメアとの同性愛については、映画では、一応事実として描かれていました。お母さんからもらった聖母像を、あんな風に加工して、あんなことに使うなんて…これはカトリック勢がカンカンになっても仕方ないと思います。

 

ベネデッタ・カルリーニに関する実際の記録をまとめた書籍

 

作品の舞台はイタリアなのに、作中で話されているのはイタリア語ではなく、英語でもなく…何語で話されているかなかなか分からなかったですが、だいぶ時間が経過してから「メルシ」「パルドン」がやっと聞き取れてフランス語だと分かりスッキリしました(初めにフランス制作と確認すれば良かったのに…)。

フランスも、カトリック国なのに、良くこんな”冒涜的な”話を制作したと思います。流石、ジャン・ジュネバタイユを生んだ国。

 

映画『ベネデッタ』鑑賞にあたっては、作中の17世紀という時代背景も考慮した方が良いかもしれません。この時代宗教改革の波に洗われたヨーロッパ。奇跡を起こす存在は、カトリック勢力にとって恰好の広告塔だったのかと思われます。

修道院長を演じていたのは、シャーロット・ランプリング様でした!「どっかで見た顔だよな〜誰だっけ?」と首を捻っていた自分が情けないです。大好きな女優さんだったのに…

 

忘れていて申し訳ない

 

映画を観ていて、この元修道院長とその娘の方がまともに見えるのですが、正論を言っていればそれが受け入れられるとは限らないのが世の常…ベネデッタの立ち回りや、彼女の”奇跡”を利用しようとする周囲の意図もあって、どんどん彼女達が追い詰められていくのは、見ていて息苦しかったです。

 

また、ベネデッタが修道院に入るくだりで、多分シャーロット・ランプリング演じる修道院長だったと思いますが「金持ちが天国に行くのは難しい」(多分新約聖書マタイ19章16-20節が元ネタ)と言って「だから修道院への寄進をたっぷりよこせ(意訳)」とベネデッタの父親に迫るシーンがあります。

しかし、その一方で、家族に虐待されているバルトロメア(貧乏人)が逃げ込んできても、「修道院に入るのはお金がかかる」と手も差し伸べようともしないシーンが後にあります。神の恩恵に預かれるには、貧乏人という時点でアウトって教義に反していないか?とも思いますが、これがシビアな現実…

 

バルトロメア(左)とベネデッタ

 

また、以下リンク先の、映画評論家の町山 智浩さんのトークを拝読して、鑑賞後、漠然としていた自分の頭の中が整理されました。

 

miyearnzzlabo.com

 

そう、カトリックにおいて、修道女達は徹底して男達の体制下にあり、『ベネデッタ』でも普通に愛人を孕ませたりしている教皇特使が修道女同士の同性愛を裁いたりしているトンデモない状況だったりします。正に「お前が言うな」というやつ。

 

後、カトリックでは、女性は司祭になれないんですよね。修道女は「シスター」で、「マザー」は聖母マリアだけに許されるもの。男の司祭は「パパ」「パードレ」なのに。女性で列聖されるには、奇跡を起こすか、後は相当痛い思いをする−苦行を積むとか(断食し過ぎで死亡したシエナのカタリナみたいな)壮絶な殉教をするとか、が必要な印象。

そんな中、一介のシスターが”奇跡”を手段に権力を得て昇りつめようとしたこの歴史的事実は、確かに興味深いものがあります。果たして彼女の真意はどこにあったのか。

 

終盤、ベネデッタに語りかけるバルトロメアに、「近代の人間」を感じました。神を媒介せず、(一個の人間として、人対人とで)向き合おうとしていると。しかしヒロインの方は…

 

作中描かれる、ベネデッタの脳内彼氏のキリストや、ペスト流行についても書きたかったですが、これ以上は体力的に無理(私が発病しかねません)なので、興味のある方は、劇場で実際に鑑賞をお勧めします。

 

クライマックスシーンのベネデッタ

 

それでは、また!