青海のブログ

本や映画、展覧会の記録と感想等。時々、発達障害について。

『アスパンの恋文』ヘンリー・ジェイムズ 著 感想

ああ、色々やらなくてはならないことが山積みな師走です。

 

さて、ヘンリー・ジェイムズの小説『アスパンの恋文』を読んだので、その感想です。

 

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死ぬまでには行けないかな…ヴェニス

 

評価:★★★★★(5つ★満点))

 

 

【目次】

概要

「ねじの回転」で知られるアメリカ出身の作家、ヘンリー・ジェイムズ(1843年-1916年)の中編小説です。

 

あらすじ

アメリカ出身の「神のごとき」大詩人、ジェフリー・アスパン(故人)の研究者である「わたし」はヴェニスを訪れます。生前詩人の恋人だった老女、ミス・ボルドローに贈った恋文の存在を嗅ぎつけ、世捨て人のように姪ミス・ティータと暮らしている彼女の邸宅の下宿人になりすます「わたし」。
世間知らずで善良な中年女性、ミス・ティータに接触して、それとなく探りを入れますが、さて、ミス・ボルドローは本当にアスパンの恋文を持っているのか…?

 

感想

ヘンリー・ジェイムズ作品を読むのはこれが初めてでした。今回読んだのは岩波文庫版で、訳者の行方 昭夫さん、モームの「月と六ペンス」は確かこの方の訳で読んだことがある記憶があります。

 

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作中でゴンドラツアーもあるよ

 

訳文が良かったのか、すらすらと読めました。訳者様があとがきで述べておられるように、さして大事件が起こってもいないシーンでも、1ページ、また1ページと、めくる手が止まらなくなります。

タイトルにその名が出ている詩人のアスパンは、作中では既に故人。中心人物の筈なのに、その為人等はほとんど言及されません。彼が書いたという「恋文」を巡って、元恋人、その姪、詩人の崇拝者たる「わたし」の間で繰り広げられる物語はとてもコミカルで、時にミステリアスに転がって行きます。さてどうなるのか。

 

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どんな情景も美しい都

 

つい語り手に感情移入してしまうので、お金にがめつくて、主人公に容易につけ入らせないジュリア―ナ(ミス・ボルドロー)をしばしば憎らしく感じましたが、途中で違うと気が付きました。

 

人の手紙というプライベートなもの(しかも恋愛がらみの)を詮索して読もうとする方が、どうかしているのです。

 

分かる、分かりますよ、強い興味を持った人物のプライベートを知りたいという気持ちは。世間にひた隠しにしている一面があったのなら、なお知りたい。知りたいと思ったら止められないのでしょう。

 

でも、自分のこととして考えたら?当事者同士であったことを他人に知らしめる義理なんて無いんですよ。手紙なんて、どう処分しようが構わない。たとえそれが世紀の大詩人に関わる案件だったとしても。

 

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手紙も古式ゆかしい文化となりました

 

かつて起こったことを「研究」や「分析」の対象とすることと、実際に「その関係性を生きた」当事者の想いとが相容れるかどうか。何も知らないのに分かったような物言いをするな、となりかねない。

 

現実でも、亡き著名人の残した日記や手紙が様々な角度から研究の対象になっています。当時のことやその人物の為人を知る貴重な資料でしょう。でも、研究者とはなんと業が深い仕事だろう…と思いました。。

 

森 鷗外が、亡くなる前にかつての恋人―『舞姫』に登場する踊り子「エリス」のモデル―とやりとりしていた写真や手紙を、目の前で焼かせた、というエピソードを知った時は、「ああ勿体ない…」と思いましたが、今は当然だと言う気持ちになりました。

 

水の都ヴェニスを舞台に、どこまでも軽妙に、愉快に、少しほろ苦く描かれる上質の物語でした。

 

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行きたいなあ

それでは、また!