今晩は、先日、巷を騒がせていたメンタリストなんちゃらさんの炎上騒ぎで思い出したドキュメンタリー映画があるので、ご紹介します。
『東京干潟』
2019年製作/83分/日本
評価:★★★★★(5つ★満点))
彼は捨てられた十数匹の猫を殺処分から救うため、日々世話をしながら干潟の小屋で10年以上暮らしている。80代半ばと思えない強靭な肉体を持つ老人は、シジミを売ったわずかな金で猫のエサと日々の糧を得ている。
彼は素手で漁をする。それはシジミと共存していく為に、成長途中の稚貝は絶対に獲らないと自ら厳しく決めているからだ。しかし近年、一部の人々により無計画な乱獲が始まり、シジミの数は激減していく。映画は、変わりゆく環境の中で懸命に猫たちと生きる老人の姿を描くと共に、彼の波乱に満ちた人生へも分け入っていく。炭鉱町に生まれ、返還前の沖縄で米軍基地に憲兵として勤務し、本土に帰国後、建築関係の会社を起業し、バブル期の東京の街を作りあげてきた男の人生。2020年のオリンピックを目前に控え、干潟には橋が架かり、沿岸には高層ホテルが建てられる。変わりゆく東京の姿を彼は複雑な思いで見つめる。
昭和から平成、そして令和へと時代が移ろうなかで、都市の “最下流”多摩川の河口から、一人の人間の生き様を追いつつ、環境破壊・高齢化社会・格差問題・ペット遺棄など、様々な日本の現在(いま)を浮き彫りにする。
(映画公式サイトより引用)
超おすすめです。
メンタリスト某さんの発言については、色々とツッコミどころがあるのですが、この映画に出てくるおじいさんのように「捨て猫の世話をしているホームレス」についても「どうでもいい」、「邪魔だし」、「臭い」と切って捨てるのでしょうか。
ホームレスと共生している猫たちだって、「臭い」かもしれないですよね。
この映画、是非メンタリストさんに観ていただきたいです。
というか、いいから観ろ! ととにかく見せたい。
映画で、多摩川河口の干潟でシジミを獲るおじいさんは、もう80代。
映画は、この一見"社会の最底辺"にいるようなおじいさんの人生を追うことで、戦後日本のこれまでの歩みばかりか、これからの日本社会の在り方を問うという広がりを見せます。基本映っているのは多摩川河口のおじいさんの小屋(セルフビルド!元建設業!)とその周辺なのに。
おじいさんはやみくもにシジミを獲る訳ではなく、一定の大きさを満たさない個体は、寄り分けて川に戻してやります(この時のおじいさんの優しそうな振舞い!)。
しかし、漁師達や他のシジミ獲りの人達の後先考えない乱獲、河川の工事でますます大事な収入源のシジミは減少し、切迫している現状が映画で分かります。
それなのに、十数匹の捨て猫の世話をやめません。何故と聞かれて
「だって、こいつらにも生きる権利はあるもの」
と当たり前のように答えるおじいさん。
ねえ、メンタリストさん、聞きました?どう思いますか?この言葉を。
猫は、おじいさんのことを餌を得る手段としか思っていないのかもしれません。
でも、おじいさんと交流する生き物は、猫だけではありません。野生の鷹だかハヤブサ?だかが時々おじいさんの小屋に(小屋の中まで!)やってきます。通い慣れた感じ。分かるんですかね。この人は信じてよいのだと。
また、このおじいさんがとても謙虚なのです。自分の人生の特異性を自覚されていないです。おじいさんへ寄付がしたいですが、出来ないのかな?ちょっと前にTシャツ購入で貢献できるみたいでしたが、こういう人にこそ寄付がしたいです。
お金は大事です。お金をなめてはいけません。
でも、多額の納税をして社会にとって"有用"に見えるメンタリスト様より、この映画のおじいさんの方が遥かに上等な人間に見えるのは何故なのでしょうか。
気が向いたら『東京干潟』、観てみてください。
それでは、また!