青海のブログ

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2024年末-2025年正月_カンボジア旅行③ アキ・ラー地雷博物館、バンテアイ・スレイ遺跡

年明けかと思っていたら、時間が過ぎるのが早い…

さて、カンボジア旅行記(2024/12/27~2025/1/2)も、3日目です。

 

アキ・ラー地雷博物館前にて

 

【目次】

 

カンボジア旅行過去記事は、こちら~

aoumiwatatsumi.hatenablog.com

 

aoumiwatatsumi.hatenablog.com

 

aoumiwatatsumi.hatenablog.com

 

大慌てでの朝食、さようならプノンペン

プノンペンのホームシックホテルにて起床、この日は7:15に出発なのでホテルの朝食ビュッフェをいただきに、食堂へ6:30頃に下りました。

 

この時はそんなに食べませんでしたが

 

私が食堂に入ろうとしたら、スタッフのお姉さんに「まだやってないよ!(`・ω・´)」と阻止されました。えぇ?

「フロントでは6:30からやっていると聞いたけど?(;´∀`)」と確認したら、「まだ料理が提供できない、7:00から来て!(`・ω・´)」と言われてしまいました。

 

オーノー!現場とフロントで齟齬があったようです(;´Д`)

 

朝食7:00開始で7:15出発…というと、15分(以内)でご飯を食べなくてはいけないようです。ひー。

それならばと、7:00前に再度食堂へ降りる際、部屋を引き払うことにしました。荷物(スーツケース)はフロントに一旦預けて、改めてビュッフェへダッシュ。バタバタと食事を済ませてフロントに迎えに来ていたガイドさんに再会、チェックアウトして、車でプノンペン国際空港に向かいます。

 

プノンペンはかなり治安が悪いらしいですが、シェムリアップは比較するとかなり安全だと話してくれるガイドのSさん。この方は空港のチェックイン直前まで一緒にいてくださり、色々とお話を聞かせてくれました。

 

Sさんにお礼を言って別れて国内便にチェックイン。シェムリアップ行きの便は1時間程度遅延しましたが(あるある)、なんとか搭乗して出発しました。

 

機内から見えたトンレ・サップ湖?

 

アキ・ラー地雷博物館

シェムリアップ国際空港(SAI)に到着。この12/29から3泊4日、シェムリアップに滞在することになります。空港出口でガイドのMさん、ドライバーのRさんと合流、まずはこの日の目的地、アキ・ラー地雷博物館に向かいます。

このシェムリアップ国際空港は新しく、旧空港と比べるとシェムリアップ市街地からのアクセスが遠くなってしまったそうです。空港付近は街から離れた森と荒地と畑ばかりの風景。たまに、簡易ドライブイン的な店(空港のお店は高額なので、カンボジア人向けの飲食店など)が点在しています。全体的に赤い土だな…という印象。

 

そうしているうちに、アキ・ラー地雷博物館に到着しました。

 

アキ・ラー氏が除去した地雷を収めた建物

 

ここ、アキ・ラー博物館は、元クメール・ルージュの少年兵で、当時地雷を埋める側だったアキ・ラー氏(今50代位?らしい)によって運営されています。彼はその後転身されて、カンボジア国内の地雷除去を率先して行っておられるそうですが、その活動紹介と、実際に除去した地雷などが展示されています。

 

アキ・ラー氏の写真と活動紹介の部屋

 

カンボジアというと、「地雷」を連想される方もおられるのではないでしょうか(悲しいことですが、この国は現在、世界有数の地雷埋設国です)。カンボジア近現代史については、恥ずかしながら私は少しさらった程度なのできちんと説明できないのですが、最初にカンボジアで地雷が埋められるようになったのはベトナム戦争の影響で1960年代後半からだそうです。

その後、1970年以降の親米のロン・ノル政権、1975年~1979年のポル・ポトをいただく共産主義クメール・ルージュが支配する時代と、それに終止符を打ったベトナム軍(カンボジアに進駐した)、親ベトナムヘン・サムリン政権…と地雷を埋めた勢力は多種多様なようです。地雷だけではなく、ベトナム戦争時期、隣国のカンボジアの共産化を恐れたアメリカにより、カンボジアは滅茶苦茶な量の爆撃を受けています。

 

米軍のクラスター爆弾だったかな?(違っていたら済みません)

 

ベトナム戦争や東西冷戦を背景としたカンボジアの内戦は、1991年パリ平和協定の調印まで約20年間以上続くことになりますが、それによってカンボジアの国土(と人心)はすっかり荒廃し、貧しい国となってしまいました。そして、戦後も国中に埋設された地雷により、手足を失って苦しむ人々が沢山…地雷が性質が悪いのは、被害にあった人の命を奪うとは限らないことです。

 

除去した地雷などの兵器

 

勿論、シェムリアップアンコールワット遺跡群などの観光地は、かなり除去されていますが、田舎ではまだまだ、下手にその辺の藪に入るのは大変危険とされています。

 

アキ・ラー氏の話に戻りますが、彼は自分の正確な生年月日が分からないそうです。幼少時にクメール・ルージュの少年兵となり、両親はクメール・ルージュに殺されたそうです。その後、ベトナム軍に捕まってからはベトナム軍の下で戦っていたそうです。そうして今は、地雷を除去する活動に従事されている…という激動の人生を歩まれています。

 

マネキンと銃などで再現された、クメール・ルージュの兵隊たち

 

暑い中、重装備で時間と労力をかけての地雷除去活動。私がショックを受けたのは、ガイドさんの説明で、この活動で命を落とされるスタッフさんもおられる、ということです。正に命がけの活動です。

 

地雷探知の機器

沢山地雷や手榴弾、機関銃などが展示されていました

 

重苦しい気持となりましたが、行って良かったです…

 

バンテアイ・スレイ遺跡

アキ・ラー地雷博物館を出て、近隣のレストランでランチをいただいてから、バンテアイ・スレイ遺跡を見学しました。アンコール遺跡の一つで、世界遺産でもあります。

 

繊細なレリーフの数々が、美しかった~

 

ここは、ヒンズー教の寺院遺跡で、リンガ(ヒンズー教の寺院で見られる男性の象徴)や見られます。レリーフシヴァ神やその妃のパールバティ、「ラーマヤーナ」の場面など、ヒンズー教の神話や伝説に基づくモチーフばかり。

 

これは破風?のレリーフが、落ちてしまったもの

 

非常に精巧で細かい彫刻で、技術的にも美的にも素晴らしい遺跡でした。

 

レースみたいに繊細なレリーフ

額縁みたいに正確な四角形の石組


シェムリアップの大地は全体的に赤い土…と書きましたが、この遺跡全体が赤っぽい石で作られています。そうして、何の木だか、随分樹高が高い白い幹の木々がある地域でした。木の上にいる、オウムの鳴き声が響き渡る中、じっくり遺跡を見学しました。

 

この算盤みたいな柱も凄く精巧なつくり

美しいレリーフ

破風の左右の端部分がナーガ(蛇)となっている

精巧なレリーフが沢山

建築も見事

偽の扉(開けられない)


上の写真のように、建築のそこかしこに、デバター(女神)のレリーフが。「バンテアイ・スレイ」のバンテアイは砦、スレイは女という意味で、この遺跡は「女の砦」を意味するです。その名の通り、全体的に女性的な遺跡でした。

全体的に、優美な印象

美しい

バンテアイ・スレイ遺跡では、遺跡のそこかしこに、見張りの人がいます。世界遺産なので、変なことする人がいないか見張っているそうです。また、ほっておくと草が生えてくる(熱帯モンスーン気候ですしね)ので、時々除去もしているそうです。今のカンボジアは観光が重要な収入なので、そこは力を入れているようです。

ガイドのMさん

シェムリアップでの観光でお世話になったガイドのMさんは(年は聞きませんでしたが)、おそらく50歳以上かな?と言う印象でした。

 

遺跡で、文書が彫られた部分

 

ところで、バンテアイ・スレイ遺跡は東向きに作られています。東側の入り口から入って、奥(西側)へ進んで行くのですが、その西の、遺跡の最奥部を抜けた向こう側?からちょくちょく音楽の生演奏らしきものが聴こえてきました。

 

バンテアイ・スレイ遺跡、外濠から

 

Mさんに「あれ?音楽が聴こえてきますね?」と聞いたら、低い声で「あれは(地雷で)手足を無くした人達が観光客相手に演奏している」と返答されました。

 

Mさんは、結局その演者達がいる場所に、私を連れてはいきませんでした。

 

後から思うと、Mさんは年齢的に(私の推測する年齢が間違っていなかったら)はポル・ポト政権時代を幼少期に経験されている可能性が高いです。

 

バンテアイ・スレイ遺跡にて

 

でも、気が付いたところで、そんなデリケートな話題をいきなり出すことはとても出来なかったな…と思います。

 

そう言えば、この後滞在する、シェムリアップ市街地でも、片方の肘から先が無いカンボジア人を見かけました。あれも多分地雷のせい…

 

バンテアイ・スレイ遺跡の帰りは、遺跡の奥(西側)から脇道を通って、入り口側(東側)に戻りました。途中でシロアリの巣(木の根元に大きく土が盛り上がった塚状の形体)を見ました。日本と一緒で家を食い荒らすらしいです。

 

タ・プロームホテル

この日の観光を終えて、シェムリアップ市街中心へ移動しました。

宿泊するホテルへ行く前に、CDF Angkor Duty Free Storeという免税店に寄ってもらいました。買い物目的ではなく、このお店の前から空港行きのシャトルバスが出ているからチケットを事前に購入するためです(最終日このシャトルバスを利用するため)。最終日はガイドさんがいないので、購入のサポートをお願いしました。

 

そうして、シェムリアップ観光の基地となるタ・プロームホテルに到着、チェックインしました。立地は抜群に良い場所で、スタッフさん達も感じが良く、朝食ビュッフェも中々良いホテルでした。

 

株式会社エイチ・アイ・エスウェブサイトより引用

 

実はこのホテル、ネットで「Gが出る」という口コミをいくつか拝見していたので、そこが懸念点でした。酷い時は、何匹も出る、枕の上にいる…など。

 

結局カンボジアでは一度も見なかった

 

私はGを素手で叩き潰したこともありますし、まあ東南アジアだし、古いホテルみたいだからある程度は仕方ないよね…と思っていたのですが、あまり出るならばとGホイホイの持参も検討していました(結局やめた)。

 

結論、私の部屋には一度も出ませんでした。*:゜☆ヽ(*’∀’*)/☆゜:。*。

 

滞在したタ・プロームホテルのお部屋

 

晦日も、「近隣のクラブがカウントダウンイベントするから、騒音があるかもしれません」と事前に旅行会社から言われて覚悟していましたが、それも杞憂でした。だから、私にとってこのホテルの印象はとっても良いです。

 

夕食は、ホテル近所のレストランで適当にとりました。翌日(12/30)はいよいよ、アンコール・ワット遺跡の見学となります。

 

夕食時頼んだカクテル

 

(続きます…)