青海のブログ

本や映画、展覧会の記録と感想等。時々、発達障害について。

『天上恋歌 金の皇女と火の薬師』4巻 感想

ここのところ、呻吟しながら勉強していた資格の試験が、なんとか終わりました。
疲れた~(;´Д`)結果は来月に発表です。全国の受験者の皆さん、お疲れ様でした。

 

さて、先日11/16に発売された、青木朋先生の中華歴史漫画『天上恋歌 金の皇女と火の薬師』4巻の簡易感想です。

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カバー下の表紙絵もナイス

 

評価:★★★★☆(5つ★満点))

 

 

今回印象的だったのは、康王の秘密の趣味の部屋の話。

皇帝の息子達の中で、幼少期より立場の弱いモブポジションに甘んじてきた康王は、自分の存在を目立たせないように気を付けていました。書に天稟があり、子供の頃に父帝より直々にお褒めの言葉をいただいたことがありますが、そのせいで宮中の「上位の連中」に目を付けられてしまいます。


権力がからんでいるため、普通の父と子のような交流は極めて難しいのです。
身の危険を感じた康王は、出来の悪いふりをして上昇志向も持たず、自分と母の安全を第一に生きて来たのですが、書画の研鑽は密かに積んでいたのでした。

 

創作とか、"表現する"という行為には、その人自身の「私はここにいる」という表明に他ならないのではないでしょうか。。"祈り"とか"伝える"という意味合いもあるでしょうが、それだって、発信する自分自身があってのこと。

 

また、表現は、その行為そのものだけでなく、その成果を世に問う(他者の評価にゆだねる)ことで完結するものだと思っています。無視されたり(これが一番多い?)、愛されたり、非難されることもあるかもしれません。表現されたものは、その人そのもの。

評価を受けたり、それに傷ついたり、それでも「私はここにいる」と言うことを止められず、乗り越えていくことで成長していく。

 

そんな当然許されるべき「存在すること」が否定されていたら。

 

「私はここにいる」と自ら言う事も許されない者の哀しみを感じて、胸が痛かったです。このようなことは、形を変えて、様々な人々が経験しているのではないでしょうか。

 

そして「私はここにいる」と言うことは、仕事でも恋愛でも、家庭でも、その人が自分自身を発揮することでも当てはまるのでは?と思います。

 

本巻でも、皇太子殿下が自ら加わっている"事業"で成果を出そうと奮闘しているのも、康王が密かに書画の修練を続けている様子も「私はここにいる」と言うことを諦めない人々の姿と捉えました。

 

康王が書画を止めないでくれて良かった(´;ω;`)

皇帝の言葉を胸に独り自習するところも泣かせる。縁薄い父との絆を大切にしたかったのかな。まだ親が恋しい年頃だしね。

 

鄆王は駄目ですね。物心ついた頃から、愛されて、存在を肯定されてきたゆえのおごりで「私はここにいる」と満足に言えない者の哀しみを理解していない。

この後の歴史を知る者から見たら「せいぜい言っていろよ("゚д゚)、ペッ」です(意味深)

 

…久し振りにブログが書けて嬉しいです♪(くたびれたけど;)

試験の結果発表までは、のんびり過ごします(*´Д`)

 

それでは、また!