青海のブログ

本や映画、展覧会の記録と感想等。時々、発達障害について。

エリック・ホッファー、バイデン大統領就任にマイケル・サンデル

読んだ本『魂の錬金術 エリック・ホッファーアフォリズム集』の感想等。

 

 

『魂の錬金術』はホッファーのアフォリズム集『情熱的な精神状態』(1955年) 『人間の条件についての省察』(1973年)を元にしていて、本書でも「情熱的な精神状態」「人間の条件について」と大きく2部に分かれています。前者は、アメリカで公民権運動が盛り上がっていた頃に、そして後者はベトナム戦争を経て、パリ協定にもとづいてアメリカがベトナムから撤退した頃に刊行されています。

 

この特異な哲学者の生涯については、後日別に述べるとして、その思想の核となるのが「弱者」「不適応者(misfits)」と、彼らの陥る「情熱的な精神状態」が人間の歴史を大きく動かしていく事。

ホッファーは、人間は本来は不完全な存在だけれども、現状への不平不満を元に爆発的なエネルギーを発して、(良くも悪くも)大きな成果を上げると述べています。そうして人が現状や社会から取り残され、「不適応者」となっている様を「情熱的な精神状態」と呼びました。


この言葉は有名です。

 

「情熱の大半には、自己からの逃避がひそんでいる。何かを情熱的に追及する者は、すべて逃亡者に似た特徴をもっている。
 情熱の根源には、たいてい、汚れた、不具の、完全でない、確かならざる自己が存在する。だから、情熱的な態度というものは、外からの刺激に対する反応であるよりも、むしろ内面的不満の発散なのである。」

 

またこんな言葉も。

 

「移動し続ける者は、ホームシックにかかっている。ヨーロッパから放逐されアメリカ大陸に上陸した何百万という人びとは、うまく移住できる世界市民的なタイプではなかった。彼らは、生涯ホームシックのまま、西へ西へと移動し続けた。
 約束の地へのホームシックに苦しむユダヤ人は、二千年間も移動し続けてきた。」


(以上全て引用は作品社『魂の錬金術 エリック・ホッファーアフォリズム集』より)

 

何かに(誰かに)情熱的に打ち込んでいる人間は、別の何かから逃げているというのです。様々な事情で社会から取り残された人々はホッファーの言う「不適応者」となり、現状への強烈な不平不満から自分とは別のものになろうとして、凄い力を発揮する。そして"情熱"は活力の元ですが、暴力やテロ、戦争に結びつく危うい面もあると言う事です。

 

例えば、アメリカ合衆国を作ったのはどんな人達か?元々いたところにいられなかった人達です。オーストラリアという国家を作ったのはどんな人達か?"流刑地"へ送られた囚人達です。ナチスを支持してアドルフ・ヒトラーを生み出したのは誰でしたか?敗戦から、貧困と不平不満に満ちていた人達です…と言う風に、あてはめていけば、結構うなづけるのではないでしょうか。

新興国の活力や経済発展の源は何か?内戦や貧困で疲弊した状況から脱しようとしている勢いではないでしょうか。手垢が付いた表現ですが、貧しい国の人々は(日本と比べて)生き生きしている、と言われますね。

個人でも、貧しい境遇や崩壊家庭から逃げるように都会に出て、成功する例があるでしょう。そして活力がある人は、色々と問題を抱えている面もある(女性関係が奔放とか)。

 

ホッファーは自らも「不適応者(misfits)」の一員だと自覚していましたが、私もそうかも……自分こそがこの世界に対する"不適応者"であると実感しています。「情熱的な精神状態」、分かります。

そして、思いました。「自分以外のものになろうとしないで下さい」という言葉を聞くと、それが人間の本来あるべき姿、"真実"だとつくづく思うのですが、多くの人が自分以外のものになろうとするのが"現実"だと。

 

ところで、現在のアメリカ合衆国の現状をホッファーの思想を念頭に見ていくとどうでしょう?バイデンさんが大統領になったのに抗議しているトランプ支持者達(アメリカの半分近くの人達が!)は、みんな本当にバカな人達なのか?

 

これに関しては、以下の記事「ハーバード白熱教室」で知られる、政治哲学・倫理学が専門のマイケル・サンデル教授のインタビューが興味深いです(※有料記事です)

courrier.jp

 


このインタビュー記事は、元々編集者の都築響一さんのメルマガ「ROADSIDERS' weekly(2020/11/04号 Vol.427)」で紹介されていたのが知ったきっかけです。以下、長い引用となります(※都築さんの文の中にサンデル教授のインタビューが入れ子となっています)。

 

roadsiders.com

 

…その趣旨は記事を読んでいただければと思いますが、サンデル教授によれば「現在の分断の根本には、政党間の対立とかではなく、勝ち組が置いてきぼりにされた負け組に対する優しさを失ってしまったこと」があるといいます。


…人に対する態度を変えるのは、資産格差の問題をどうにかするのと同じくらい重要です。社会の頂点に立った人は、自分が成功できたのは自分の実力だと考えがちです。実力で成功したのだから、市場社会が成功者に配分するものを受け取って当然だと考えるのです。それは置いてけぼりになった人たちは自業自得だとみなす見方にもなります。

エリートから、そんな風に見下されれば、労働者階級の人々の怒りと不満が大きくなるのは当然でした。正当でもありました。ただ、その怒りと不満を利用し、人々の最悪の感情に働きかけた政治家がいたのです。

外国人嫌悪や超国家主義といった醜悪な感情に働きかけ、トランプの場合はそこに人種差別が追加されました。トランプなどの発言が醜いせいで、トランプなどを支持する人たちの訴えが正当だということになかなか気づけていません。

グローバル化の唯一の問題点は、勝ち組から負け組への所得再配分が不充分なだけだとみなしていたところがありました。

しかし、これは単に正義と再分配の問題ではないのです。これは社会から承認されたい、社会的に尊重されたい、という問題でもありました。
(記事より引用)


ずいぶん前になってしまうけれど、「珍世界紀行アメリカ編」でアメリカの田舎をひたすら回っていた時期、思えばジョージ・W・ブッシュ政権のころでしたが、そこで出会ったひとたちは、いまテレビで見るトランプ大統領の集会でマスクもせずに熱狂するひとたちと、まったく一緒でした。

でも、そういうひとたちは日本人の僕に威嚇的になることもなく、蔑みもせず、ものすごくフレンドリーでした。平均的な日本の家庭より、はるかにつつましい暮らしをしていて、勤勉で正直でした。むしろ、旅を始める前にニューヨークやサンフランシスコの友人たちからの親切なアドバイス――「南部のやつらはみんな銃持ってるからほんとに危険だぞ」「ボディガードつけたほうがいいんじゃないか」みたいな言いぐさのほうが、サンデル教授の言う「置いてきぼりになったひとびと」への蔑みの視線だったと、旅を続けるうちに理解できたのでした。

(以上「ROADSIDERS' weekly(2020/11/04号 Vol.427)」「編集後記」より引用)


サンデル教授の言う「置いてきぼりにされた負け組=トランプ支持にまわった労働者の人々」が、ホッファーの言う「不適応者(misfits)」に当てはまって、もう。


エリック・ホッファーに戻りますが、面白いのは、前述の不適応者に対してこういった事を言っているところ。

 

「完全に調和のとれた人間には、前進への衝動も、完全への向上心も欠けているのかもしれない。それゆえ、完全な社会は、つねに停滞する可能性を秘めている。」

(引用:作品社『魂の錬金術 エリック・ホッファーアフォリズム集』より)

 

これは、渋沢栄一翁の「もうこれで満足だという時は、 すなわち衰える時である」と同じ事を言いあてていると思います。しかし、面倒くさいですね、人って…(;^ω^)

 

ホッファーは、人間は永遠に不完全な存在ゆえに、常に学び続けて変わり続ける事が出来るのだと主張しています。